第二回:30年の歩みをはじめ、伝統やものづくりに対する想いについて

ゲスト:クメール伝統織物研究所代表 森本 喜久男氏

無印良品は、カンボジアの伝統織物の復興と活性化に取り組むクメール伝統織物研究所(IKTT)の活動に賛同し、共同で商品開発に取り組んでいます。そこで、クメール伝統織物研究所代表の森本喜久男さんと良品計画社長の金井政明が、自然と人とものとの関係や、ものづくりに対する想いについて語り合いました。

黄色い生糸との出会い

金井
今はカンボジアを拠点にされていますが、かれこれご出身の京都からタイに入って、もう30年が経ちましたか。
森本さん
そうです、30年です。当時、タイの国境近くには、難民キャンプがありました。そこにはカンボジアの人たちが難民キャンプを作っていたのですが、その中に織物学校がありました。その織物学校ではボランティアの募集をしているということを、京都で難民救援の活動をされている方から聞き、それが縁で、この難民キャンプの織物学校でコーディネーターとして参加することになりました。もちろん、最初は1~2年くらいの滞在にするつもりが、気がついたら30年経っていました。
金井
京都にいらした時からボランティアへの関心とか、何かをしなければいけないという気持ちを既にお持ちだったのですね。しかも、難民キャンプの中で織物の研究までされていたというのもすごいことです。
森本さん
当時はもちろん、カンボジアの人だけでなくラオスなどからやってきた人たちが、難民キャンプで生活していくためにできる最小限のこととして、自分たちが持っている技術を活かす活動をしていました。実は、当時は難民キャンプといっても、外国人は入れないというキャンプもありましたから、私がその難民キャンプの中で作った織物を持ち出して、それをキャンプの外で販売するという、今でいえばフェアトレードの始まりみたいなことをしていました。
金井
森本さんが織物を売り、その売上の現金を難民キャンプで暮らす彼らに手渡す、ということですか。
森本さん
そうですね。難民キャンプで暮らす彼らは、自分たちでは自由にものを売ることができません。というのも、国連の厳しい管理下にあるキャンプもありましたから、そのような活動ができないというのが前提になっている場合もありました。
金井
難民キャンプでの活動から、その後はどのようなことをされていたのですか。
森本さん
難民キャンプの人たちというのは、国連から食料と水を供給されています。ところが、難民キャンプの周辺で暮らしているタイの村の人たちは、実はもっと大変な生活をしているということを目にしました。
金井
なるほど。国連からの供給や援助が無い中で、自給自足で暮らしている村の人たちと出会ったのですね。
森本さん
その村を訪ねてみたら、そこには伝統の織物というものがありました。さらに、今も私はそれに関わっているのですが、この村で黄色い生糸があるということを初めて知りました。私は京都で着物職人をやっていましたので、シルクというのは白いものだと自分では思っていたのです。ところが、非常にきれいな黄色の繭があって、そこから村人が手で糸を引いて布を織っていました。全ては、この出会いがきっかけでした。ところが、それを作っている人たちというのは、生活が大変苦しい。できれば、その織物を販売して収入の足しにすることはできないかと思い始めたのです。それから約10 年、このようなことをタイの人々とやっていました。
金井
それは、野蚕(やさん)みたいなものですか。
森本さん
いえ、家蚕(かさん)になります。白い生糸というのが現在では常識になっていますけど、本来は自然の中には白という色はありませんから、恐らくもともとの黄色いものが品種改良されて、だんだんと白くなったのではないかと思います。つまり、染めやすくするために。
金井
ということは、黄色い繭はシルクのルーツみたいなものなのでしょうか。
森本さん
そうです、原種ですね。私はカンボジアに行ってから、桑の木の調査をしました。シルクロードというのは中国から始まったといわれていますが、私は、シルクロードは中国ではなくてカンボジアから始まったのではないかなと思えるような、いくつかの発見をしました。その1つとして、桑の木の原産地とそのDNA調査や検査を日本の大学にお願いしたところ、カンボジアの桑の木の半分は中国に生息するものと同じDNAを持ち、そして残り半分の桑の木は中国には存在しないDNAをもつことがわかったのです。つまり、中国にはカンボジアから渡った桑の木があるというわけです。蚕は桑の葉しか食べませんので、桑の木の原産地がカンボジアであれば蚕も同じなのではないかと。だから、ひょっとするとシルクロードには前段があって、カンボジアの森から中国に渡り、その後中国から世界に広がったのではないか、と私は思っています。
金井
シルクの研究のために桑の木の調査をして、そして、それがキッカケで今の活動に夢中になってしまったということですね。
森本さん
すでに30年が経っていますから、今でこそカンボジアのシルクの魅力や良さを知っていただく機会も増えましたが、当時は偏見もありました。村人が手で引いた糸は質が良くないと専門家の中では言われていたのです。簡単に言うと、機械化された大量生産のための原料には向いていないから、品質が良くないという価値観の時代でした。でも、私は村で見た黄色い繭と、そこから引かれた糸が持っている温もりにとても魅力を感じていましたので、どうしてそれがダメだといわれているのか納得がいきませんでした。
そこで、信州大学の材料工学専門の先生にお会いして、糸の強度など、いくつかのテストをしていただきました。その結果、実は白い糸よりも黄色い糸の方が良い部分もあるということがわかりました。例えば、光沢に対しての反射率です。白い糸の断面図よりも、黄色い糸の断面図の方が良かったのです。黄色い糸の断面図が三角形であることによって、光が多く当たってより反射するのです。それまで品質が良くないなと言われていた黄色い糸ですが、やはり良さはあったのです。それがわかってから、どんどんとはまってしまいました。
金井
大学の教授の裏づけが無くても、森本さんのことですからおそらく今と同じことをやっていたような気がします。しかし、当時は苦労されたでしょう。ご本人はこの黄色い生糸に惚れ込んでいて、すばらしいものだと思っていても、当時はまだ世間一般ではそのような感覚ではないのですから。いかに加工がしやすいかということが優先で、日本でもよく見られるような白い糸に価値があると言われている時代でした。そう、世間は80年代初頭で、まだまだ景気も良く、日本の経済は盛り上がっていた頃ですからね。

30年という時間の中で

森本さん
80年代後半、私は村人たちに草木染を教えていました。それを製品にして売り始めましたが、当時は草木染にそれほど関心のない時代ですから、出来た布は自分で買い、バンコクにある自分の店で販売したりしていました。せっかく作っても、市場がないと持続ができませんから。
金井
その商品を購入していたのはどのような方だったのですか?
森本さん
面白いもので、地元のタイの人々です。草木染という能書きは一切ありません。つまり、とにかく触ってみて、単純に良いと思ってもらえた。さらに、色は自然染料でしたから、いわゆる街で売っている化学染料の商品とは明らかに違う。そこに魅力を感じてくれているお客様が多かったのです。主に、バンコクの街で自営業をやっている女性たちからファンが徐々に増えていきました。そういう人たちがシルクを選ぶのです。彼女たちは、普段着感覚で私たちが作ったシルクをまとってくれました。
金井
あの頃、当社もものづくりのためにタイにも入りましたし、インドにも行きましたが、我々の市場としてはまだまったく想像もできませんでした。
森本さん
実はその頃に無印良品の方に声をかけていただいたことがありました。しかし、当時の私たちでは量産はできません。せいぜい10枚、20枚という世界です。ですので、残念ながら取引には至りませんでした。そのこともあって、今回一緒にものづくりができる機会をいただき、本当に嬉しく思っています。以前、ちょうど私が村人たちとの製品づくりをやろうと思っていた頃、無印良品の店頭に藍染の商品が並び始めていました。その藍染商品のディスプレイを見たことが、自分の中のものづくりに対する刺激のひとつになりました。
金井
そうですか、そこでもつながっていたのですね。
森本さん
つながっていましたね。村の人たちが作ったものを女性たちが買いにきて、またそれを販売する。村の人たちが自分たちの作ったもので、継続してビジネスがしていけるようになればいいなと思いました。その後、今もそうですが、私たちはタイで直販しかやっていません。その出来上がった商品に、誰が作ったのか、誰がデザインしたのかをきちんと書いています。例えば、畑で野菜を作っている人が、それを自ら並べて売っているのと同じ感覚です。自分で作ったものが売れるというのは、作った野菜を食べて美味しいと言ってもらえるのと同じくらい嬉しいこと。お客様の声がダイレクトに作り手に伝わる。これが励みになり、誇りになるのです。そういう風習を大切にしています。商売の基本です。それが一番大切なことではないでしょうか。
金井
無印良品も誕生して30年ですから、お互いにスタートして30年。やっと出会えたということでしょうか。森本さんは川上へどんどん向かっていき、私たちは川下からスタートして、ものの在りようを考えてきました。川上と川下でお互いがやっていたことが、だんだん近づいてきた。だからこそお会いできた。2006年に調達子会社としてMUJI Global Sourcing(MGS)を立ち上げて、我々もこれまで以上に海外での調達活動を広げていますので、この先もこのような機会やめぐり合いも増えてくるでしょうね。
森本さん
今回、一緒にものづくりができるということで、私の方でももう一度素材を見直しました。織物を作るために、染料は市場から完成品を買い、糸も出来合いの糸を買えば良いとしていたところを、もう一度糸を自分たちで作り、染料も自分たちで作ることにしました。というのも、今の衣料品が使い捨てのようになっていて、1年使えば捨ててしまうような世の中だからです。これまでの着物の文化というのは、布はどこの産地で織られ、誰が織ったものかが分かっていて身にまとっていました。つまり、布に対する'想い'というものがありました。その着物を大切に着続けて、今度は子や孫たちにまで伝えていく。このように、ものに対する想い、心、素材が生まれる背景を感じながら生活をすること。そういうことが、生活を豊にしていくということなのだと思うのです。
金井
おっしゃる通りです。1枚の布を作るまでが本当に大変です。人間というのは、一方では大量に、そして合理的に作る仕組みにまで発達させた。その能力や探究心は、これもまたすごいものだと思います。しかし、それも、いつのまにか大変だとういうことを忘れてしまいます。ましてや、今の私たちの身近な生活の中でものを作っているという光景を見かける機会は少ない。昔は、近所に、いろいろとものを作る家庭や工場があって、それらが売られているという光景が日常にありました。しかし、今はほとんど消費者しかいない。例えば、スーパーの魚売場には切り身になって売られていることが多いので、海では切り身が泳いでいると勘違いしてしまう子どもがいると言われているのと同じように、ものに対して、作ることの大変さを感じられない環境で私たちは生活しています。だから、今こそ、そこに気がついて意識をすることが大事なのだと思います。そのような意味で、私たちは商品という'もの'を通じて森本さんたちの活動を紹介し、少しでも何かお役にたてればと思います。

伝統の継承と変化

森本さん
私はアジアで活動していますが、インドネシアのサラサという有名な柄があります。あれは、どうみても着物のデザインに非常に深く影響しています。おそらく、江戸時代くらいから日本の職人は東南アジアへ出ていけていたのではないかと思うのです。この前、東京国立近代美術館で開かれていた「越境する日本人-工芸家が夢みたアジア1910'S~1945-(会期:4/24-7/16)」という展覧会のチラシをみて思いました。アジアという1つの地域の中で人々が交わる。昔も今も時代は繰り返していると思いますし、私たちは、たまたまその流れの中にちょうどいるのではないかと思います。
金井
人間の集団の中には必ず、少数ですけど、他人とは違う考え方で行動するという人が数%くらいいますよね。人間は集団でいても、全員が同じ考えや行動をするわけではなく、無意識の中で、自然と役割というものがうまく出来ているような気がします。そう考えると、江戸時代でも目の前に広がる海の向こう側に行ってみたい、水平線の向こうに何があるのかと考えた人はきっといたでしょう。だから、日本の'かすり'の技術も東南アジアにルーツがあるというのは、当時から海を越えた交流があり、つながっていたのだろうと思います。
森本さん
沖縄に『芭蕉布』という織物があります。あれはもともとインドネシアから来たといわれています。ところが今はインドネシアにはそれはありません。非常に粗雑な織物は残ってはいますが、むしろインドネシアの今の工芸家が沖縄に行くと驚きます。ルーツはインドネシアでも、沖縄でひとつのレベルまで昇華され、工芸的にすぐれたものになっていったのでしょう。人と、ものと、地域が重なり合って継承されていく。面白いものだと思います。
金井
それは面白いですね。異国の文化と文化が良い化学反応を起こしたという結果ですね。最近ではダイバーシティという言葉が日本でも使われるようになりました。日本の単一的な価値観や考え方だけでは、これだけのグローバル社会ではなかなか通用しない。男も女も、あるいは国籍も含めて多様な価値観を尊重して、新しいイノベーションを起こすことが重要だといわれています。伝統というのは、その良い化学反応の積み上げとも言えるような気がします。
森本さん
今もよく言うのですが、伝統というのは守ってはいけない。時間は前に動いているわけですから、守ろうとした時点で後ろ向きに走るということです。時代と共に新しい伝統を生み出す姿勢が無いといけません。だから、私は30年前、無印良品の皆さんは新しい伝統を作り始めたのだと思います。
金井
伝統を守るのと同じように、無印良品を守ろうとすると、実はそこで止まってしまいます。新しく、ある意味、変化をしていかないといけない。無印良品を守ろうと考えるあまり、いつの間にか壊してはいけないというように思い始めるわけです。もちろん、伝統を守り続けるように無印良品を守ろうとする思いは大事なことですが、かえって重い荷物を背負ってしまったかのように、身動きが取れなくなるのも困ります。いつも無印良品は、今の時代の「良い品」とは何か、無印良品は何をするべきなのか、ということを考え続けています。とはいえ、今のこの答えは3年後の答えともまた違うでしょうし、人それぞれに答えもまた違うでしょう。でも、それが考え続けるということだと思いますし、時代とともに変化し、前に進んでいくということだと思います。例えば、人類はその時その時にいかに豊さを感じ、いかに幸せな生活を送るかということを考え続けて生きていますね。それこそ、日本は戦後、アメリカのようにたくさんのものに囲まれた暮らしは幸せのカタチだと信じ、そういう社会を目指して一生懸命に作ってきました。しかし、ものが満たされてくると、それが唯一の幸せなカタチということではなかったと気付く。いつの時代も、試行錯誤しながら、幸せというものを求めて生きていくのでしょう。だから、幸せかどうかを計る物差しというのも、時代の中で変わっていくものだと思います。その点からしても、私たちは、東京でこうして仕事をしていますが、何を幸せと思い、何に不満を感じているかというのは、森本さんたちのいる村の方々とほとんど同じなのではないでしょうか。全てが満足ではないが、でも幸せを感じながら暮らしている。つまり、お互いが何をもって幸せなのかという尺度を知ることも大事ですね。
森本さん
それはやはり、出会いだったり、人だったり、場所だったりをシェアしていけば、お互いをもっと理解できるのではないかと思います。
金井
私たちのメンバーも、合宿ということで森本さんの村に滞在させていただいて、わずかな時間でしたけれど貴重な体験をさせてもらいました。村では親子一緒に生活し、その子供が親の仕事を手伝うという光景が、今の日本にはほとんど無い。子供の多くは、父親が何の仕事をしているのかわからないと言います。毎日電車に乗って会社に行き、夜遅くに帰ってきても、その会社で何の仕事をしているのかはあまり知らない。そんな時代です。そのことから、合宿に参加したメンバーは、村での生活を新鮮に感じ、また家族の暮らし方を見てうらやましいという思いも持って帰ってきました。

手仕事の温もり、ものへの想い

森本さん
工芸の世界の全てで言えることとして、手でものを作るということは、手の記憶の中でいろいろなものが伝承されてきたことに繋がっていると思います。いわゆるマニュアルがあって、それをコピーするのではない。自分たちの中でそれが広がって、さらに発展していく。伝承というのは、ある形のマニュアルがあって、それを正確に継承するということだけではない。それを時代とともに発展させていく、つまりアドリブという面もあり、それはクリエイティブな仕事でもあると思います。例えば、複雑なかすりの模様も、デザインや図案無しで伝承されてきた。図案が無いからこそ、クリエーションの力がつく。そして、その技術が伝承されていく。図案は無いが、記憶として後世へ伝承されていく。もう一度、手の記憶の力を見直しても良いのではないかと思っています。
金井
やはり進化は大切ですね。例えば、1+1=2のマニュアルを作り、その通りにやれば良いというのが近代なわけですが、それはそれで効率をあげていくことに繋がります。しかし、どうしてもそれだけではすまない。日本の徒弟制度、職人の世界とか板前の世界では当たり前のことですが、丁稚で修行していても、師匠は何も教えてはくれない。下働きをしながら、一生懸命自分の身体で盗む、習得する。だから、師匠の体から出たアウトプットと弟子の体から出たアウトプットはやはりイコールではない。これが進化ということです。職人というのはそういうもの。そして伝統が繋がっていく気がします。
森本さん
私のいた着物の世界も職人の世界ですから見習いは給料がもらえない。普通であれば、3万円くらいの給料が相場の中、5千円くらいの給料でした。見習いのあとは1年間のお礼奉公があり、それは無給だといわれた時代でした。親方がやっているのを横で見ながら、まさに盗む。少しのアドバイスはありますが、それ以外のことは自分でやれという世界です。
金井
その代わり、礼儀作法は厳しく叩き込まれる世界だと聞きました。
森本さん
私は自分が親方の年齢になり、当時の親方の仕事を思い出したりしますが、今でもその親方と同じことが自分ではできないことがわかります。越えられない神のような仕事ですね。私は着物の仕事が出発でしたので、シルクというものに違った価値感を持ち、学んできたわけですが、今度は私が若い子達に伝えていく番になりました。
金井
人間も自然の一部で生かされているということですが、自然のすごさはいろいろな場面で感じます。災害もそうですし、一方では風景に癒されたりもします。日本人やアジアの民は、比較的自然に対する畏敬の念は強いと思います。しかし、このような生活していると、それらを忘れがちになります。多くのものが機械で作られ、皆が買いやすくなることは必要なことでもあると思いますが、ものを作る人間の手のすごさは驚くべきものがあります。人の手でピラミッドのような巨大な建造物を立てた驚きもあるでしょうが、手はものすごく繊細なこともできる。どんなにすごい精密機械にも真似できないようなことを人の手がやってしまうという事実をいくつか見たとき、私はすごいと思いました。工業化した社会の中で物質の豊かさも体現してきましたが、一方で私たちはFoundMUJI という活動もやってきています。それは自然や人間の手の温もりを知り、そしてその温もりを使い手がきちんと受け止め、ほんの少しの不便さをも楽しむ気持ちを持つ。そんな、ものを大事にするという気持ちを持つことこそ、今の生活の中で意識していくべきだろうと思います。
森本さん
手のすばらしさといえば、私は道具というのは手の延長にあると考えています。でも、機械というのは手から少し離れたところにあると思っていますが、今は、機械を道具にすることは可能ではないかと思っています。というのも、先日、名古屋で毛織物にかかわっている方々とお会いした時のことです。自然の染料でも、ゆっくり染めれば実は色は落ちない、色が落ちるのは機械で急いで染めているからだという話をしたら、その方々も、そうだそうだと言うのです。急いでやらせると機械も嫌がると。機械に心を込めれば、機械も良い織物を織ってくれるという話を聞いて、私も目からウロコが落ちたようでした。だから私は、今回の無印良品との取り組みの中で、上海の最先端の染色機械を動かしているけれど、伝統の'手仕事'をしていると考えています。これまでなら5m、10mしかできなかったものが、今は100m、1000mという規模を最先端の機械を使って実現できる。ということは、この機械に、道具と同じように私の心を込めて取り組むことが、私の仕事だと思っています。つまり、素材も道具も、そしてものを作るということも、基本はやはり心なのではないかと思います。自然が持っている心、人が持っている気持ち、それらをシェアしていくことが大切だと思います。
金井
脱・工業化社会のひとつは情報化社会というのが当然ありますが、もう一度、機械を道具に据え直すということですか。それはすごい。是非やっていただきたい。
森本さん
現在の出来上がった工業化社会に、もう一度、ものづくりの想いや心を込めることは私は可能だと思っていますし、その心を込めた機械を使って作られた商品を買われた方は、その気持ちや心を感じ取ってくれるのではないかと思っています。それから、今回無印良品の木製テーブルの端材を使って染色したタオルもきれいな色に仕上がりました。従来はゴミとして捨てていたものからすばらしい色に染まるのです。染めたあとの廃材は、染めることで熱分解されていますので、普通は3ヶ月ほど置かないと土に戻らないものが1ヶ月で土に戻ります。腐葉土と同じです。それが、また次の木を育てるのに役立ち、循環していきます。地球上の生産物の半分がゴミとして捨てられていると言われている現状から、少しでもその一部を再生利用できるのであれば、こんなにすばらしいことはないです。
例えば、新しいお茶の木を植えるために切った古い切り株を使って染めると、これもまたきれいな色が出せます。それに、バラも新鮮な花の部分は出荷しますが、切った後の茎からでもきれいな色に染まります。それは、気が付かないだけで、まだまだ世の中には捨てられるゴミの中にも使えるものがたくさん眠っているのです。
金井
10年ほど前に無印良品でグレーの色を作るために2年間くらいかけて色出しをしたことがあります。グラデーションで、5段階くらいの幅で色出しに取り組みましたが、赤みが強い、青みが強いなど、なかなか上手くいきませんでした。色の決定というのは難しい作業ですし、多数決で決めるというようなものでもない。でも、今回のように家具を製造する過程で出る端材を利用してタオルを染めるという場合、その染まった色を見て率直に思うことは、その色に対して余計な議論をする必要が無い。今までのように、先に色を決めてしまうから、なぜこのグレーを出すのかという理由づけが必要になる。だから、これまでは感覚的になぜこの色なのかという議論をしていましたが、このように捨てられてしまう端材を再利用して染めたタオルの色には、今までのような議論の必要はありませんから。
森本さん
着物でいえば、例えば色留袖というのは1枚の着物を仕上げるために38色くらい使います。派手で濃い色はそうでもないのですが、薄い淡いグレーや淡いブルー、ベージュ系などの色は深みを出すのが難しい。でも、職人はそれぞれに自分の'隠し味'というものを持っているわけです。その隠し味として使う色は表には見えてこないのですが、それがあることで色に深みが出せるのです。いわゆる、職人の技というものです。とある薄い色を出そうとして、三日三晩かけてやっと出せたという色でも、自然の染料だと葉を煮たりして簡単に出せてしまう事があります。これはとても面白いことです。化学染料での赤は単なる赤でしかありません。単色です。ところが自然染料の赤というのは、青や黄や緑や黒が凝縮された赤色なのです。それが自然染料の持っている深みであり、自然の奥行きだと思います。
金井
今回も、スピーディーに染色したタオルのサンプルを作っていただき、たいへん驚きました。しかも、とても良い色が出ていました。この色のグラデーションなら、例えばソファのカバーとして使っても良い感じになりそうですし、同様にクッションカバーもそのトーンで作ったら気持ちの良い商品に仕上がりそうですね。無印良品で使う色は、あまり主張をしない、生活の背景になるような色を製品全体において展開するようにしています。それは、生活の中で、いろいろなものがどれも主張をしていると、空間が混乱するからです。だから、できるだけ主張しないものをと思って作ってきましたが、自然染料で染めた商品というのは生活の背景にはとても良いものです。でも、それだけだと物足りなく感じてしまったら、もしくは何か色を取り入れたいと思ったら、そこには手の温もりを感じる刺繍や自然の持っている色を取り入れて欲しいと思います。無印良品の商品には、お客様が自由に選べ、工夫できるような余地というものを残したいと思っています。

対談を終えて

金井
縁があって森本さんたちと仕事ができるようになって、我々も本当に喜んでいます。現地で働いているスタッフの皆さんとの交流も楽しみにしています。現地のスタッフの皆さんも、日本という違う世界を見たり、自分たちが手がけた製品が無印良品の売場に並んでいるのを実際に見ていただくというのも、お互いにとってとても良い刺激になるのではないでしょうか。
最後に、我々が理想として掲げている、森本さんが行っているような、人間の温もりを大切にする生き方を実践している人もいるでしょうけれど、これだけ便利になった世の中において、この理想的な思考をぶらさずに生きていくというのは本当に難しいことです。多くの人がやりたいと思っていても、いろいろな矛盾をそれぞれかかえていますから。そのようなことで、私たちも森本さんたちの活動を少しでも応援できれば、大変嬉しく思います。
森本さん
無印良品の関係者で初めてお会いしたのが、達富さん(MUJI Global Sourcing 社長)です。たまたまお互いが京都出身ということもあり意気投合して今に至りますが、こういう共通点がなかったら今頃どうなっていただろうと考える時があります。本当に良い出会いに恵まれたと思います。これからも人との出会いを大切にして仕事をしていきたいと思います。ものづくりに関わっている無印良品のスタッフの皆さんとお会いして感じるのは、本当にものづくりの基本を忘れずに仕事をしていらっしゃるということを実感します。それは、私もとてもうれしく思います。これからもお互いが力を合わせて良いモノを作っていきたいと考えています。これからもよろしくお願いします。

※役職等は対談当時のものです