第三回:無印良品のデザインは、質と美しさを持った普通を探り当てる作業

ゲスト:株式会社HAKUHODO DESIGN 代表取締役社長 永井 一史氏

企業の「経営」における「デザイン」の力とその役割について、新たな思考と方法論を提言されているHAKUHODO DESIGN代表の永井一史さんと良品計画の金井政明が、無印良品にとっての「デザイン」とは何か、また創業時から受け継がれている無印良品と「デザイン」との関わり、そして「経営」の視点から考えた「デザイン」への思いについて語り合いました。

デザインという手法の可能性

金井
永井さんは、博報堂のアートディレクターでしたが、10年前に「HAKUHODO DESIGN」を立ち上げましたね。「HAKUHODO DESIGN」でのご活動についてはとても興味がありました。このような機会をいただけましたので、是非、詳しく教えてもらえますか?
永井さん
ありがとうございます。博報堂でずっと広告を作っていたのですが、1990年の後半、ブランディングの波が日本に押し寄せてきて、僕もブランディングの仕事に関わる機会が増えていく中で、それまでは表現やかたちで何を生み出すかに関心が向いていたのですが、デザインは企業の事業そのものとか、存在価値や理念といった部分にも関われるという実感を持ったんです。それでデザインによるブランディングを専門的に行う会社として「HAKUHODO DESIGN」を立ち上げました。
金井
コンサルタントではなく、デザイナーがブランディングを主導することには、どういう違いがあるのですか?
永井さん
デザイナーは常に生活者側に立って、人が暮らす中での必然性を見つめながら思考するという特性があります。だから企業活動と生活者との最適な関係性を見つけ出すことができる。その関係性こそがブランドです。そしてデザイナーには専門家として磨き上げてきた美に収斂させる力があります。「企業活動」と「生活者」と「美の力」の3点を結び付けることで、より強いブランドを作れると思っています。
金井
最近では、企業経営にもデザインの力が活用できる、というお考えも提唱されていますね。
永井さん
はい。成熟し何でもそろっている現代において、単なる技術革新が先行したモノの供給だけでは、難しい時代だと思います。そして企業活動に対する生活者の目も年々厳しさを増しています。生活者から自分達の生活を良くしてくれるという共感性を持たれない企業は生き残れません。デザインには「生活者の未来を構想し、具体的なカタチにする」という力があります。この力を経営に活かすことで、生活者に支持される企業ビジョンや、未来の暮らしや社会に求められる新しい事業やサービスを生み出していくことができると考えています。
もうひとつ、今は既存事業をどう効率化するかだけではなく、どんどん新しいことを生み出していかねばならない時代になっていますよね。どうやって発想を大きくジャンプさせるかというときに、デザインが持つクリエイティビティが活かせるのではないかと。

「最良の生活者」を探求するために、デザイナーが作った無印良品

永井さん
そうはいっても、デザインを経営の考え方として活かすというお考えを持つ経営者の方は世の中にはまだ少ないと思います。かなり早い段階からそういうことを志向・体現している会社として、良品計画、無印良品というブランドが真っ先に頭に浮かびました。それも経営としての考えのデザインだけではなく、事業や商品の具体的な形のデザインまでトータルに落とし込まれている。だからこそこれだけ社会的な評価・評判があると思っています。
金井
確かに私たちの会社は、経営とデザインがとても近いところにあると思います。もともと無印良品はデザイナーが作ったようなものですよね。小売業のビジネスマンが作ったのではなく。
基本的には創業者の堤さん本人がそうした魅力や才能を持っていて、田中一光さんはじめ、多くのデザイナー、クリエイターがセゾンに集まり、1つの時代を作り出していきました。そのなかで、無印良品が生まれました。無印良品の初代アートディレクターとなった田中一光さんは、「無印良品は最良の生活者を探求するために作られた」とおっしゃっていました。
永井さん
普通の企業目線であれば「最良の商品を生活者に提供する」ですよね。無印良品の場合は、真逆なんですね。そもそもの発想が素晴らしい。
金井
一般的な小売業であれば、お客様が欲しいとおっしゃれば、何でも売ろうと考えます。でも、無印良品というのは、最良の生活者、豊かな生活、私たちは「感じ良いくらし」と置き換えていますが、より良いくらしに合わないものは売りたくないし、開発する必要もない。より良いくらしの方向につながる商品を、生活者の目線で開発し、提供していこう、と。
なぜかというと、世の中の商品が過剰な競争の中で本質を失い、生活者にとっての自由が失われていると考えたからです。消費社会での企業間競争は、結局、コマーシャリズムという構造で競い合うわけです。低価格を武器に需要を拡大しようとする企業と、表層的なデザインやテレビCMなどで常にスタイルチェンジを行い、需要を拡大しようとする企業との二極化が進みました。
無印良品はそうではなく、生活の基本となる本当に必要なモノを、飾ることなく、必要の本質を商品にするコンセプトでスタートしました。
ただ、一方では、無印良品のデザインは、デザインを否定したデザインとも言えます。当時は、モノを売るために、次々と消費される形がデザインだと呼ばれていたことに対し、デザインの本質や本来の役割は何かといった批評を内包しながら、無印良品はスタートしました。
永井さん
田中一光さんと言えば「独自の色遣いを持つデザイナー」という印象が強いですが、その田中さんが無印良品においては、色を感じさせない、素の状態でブランドを作られたということが大変興味深いです。
金井
色彩やトーンアンドマナーは、アドバイザリーボードの方々が目を光らせてくれていました。その意識や視点が、徐々に社員たちにも伝わっていったと思います。
その中でも、田中一光さんは'色の天才'ということで、色彩の感覚はたいへん素晴らしいものがありました。しかし、人間というのは誰でも、どこかで必ず矛盾というものを持っていて、片方ではいつも何かに葛藤しているのではないかと思えるエピソードがありました。
田中一光さんは、色というものに対して突き詰めていながらも、一方では無彩色、素材色の美を表現することもどこかで考えていたのだと思います。というのも、無印良品がスタートした頃、店舗スタッフ向けに新商品の展示会を開催することになったのですが、当時は醤油など調味料を開発するバイヤーが提案する新規のNB商品と一緒に「無印良品」という醤油も扱っていましたので、同じ醤油の棚に混ざって並んでいるというような状態でした。それが、そのうち展開商品も200品目を超えてきた頃、「無印良品の商品だけの展示コーナーを作ろう」という話が持ち上がりました。その展示コーナーを田中一光さんがご覧になったとき、おそらくご自身の中でずっと意識されていた、もう片方のイメージというか、思いが溢れ出てきたのでしょうね。そのコーナーを見た瞬間「まったく色の無い世界、素材色、無彩色の新大陸を発見しましたね」とおっしゃったのです。そのことがあってから、「無印良品」だけを集めたコーナーで商品は展開することになりました。
その後、1983年に港区・青山へ無印良品だけの路面店を作る計画が持ち上がります。店舗空間デザインは、スーパーポテトの杉本貴志さんに依頼され、店内は木・金・土で構成されました。つまり店舗の基本構造は、木材、鉄、土や石を部材として用いることとし、しかも、どれも非常に古く、長年にわたる経年変化の見られる味わいのある部材を持ち込んで作っていただきました。自然素材をベースにした内装に、商品は「生成」を基調にしたもので構成されました。
その後、商品の取り扱い範囲も広がり、例えば家電など、どうしても樹脂などを使用しなければばらないものも登場してきますが、もしプラスチック製品だとしても、あくまでも基本色となる「生成」に対してどのような色彩が良いのか、グレーなら生成と相性が良いのではないかなど、色づかいに対しては非常に注意を払ったことを覚えています。
永井さん
田中一光さんは、商品それぞれの'ワケ'、つまりプロセスの簡素化や再生紙の使用理由など、個別に商品のデザインディレクションはしてはいたけれど、いざそれらが集積されたときに、初めて無彩色の価値を再発見されたということですか?
無彩色の集合体の美しさを最初から意図していたわけではなく、結果論だったというのは非常に面白いエピソードです。
金井
最初はモノの有り様でした。売ろうとするために本質以外のコマ-シャリズムなところにデザインが加担しながら、いかに売れるものにするか。世の中の多くが売るためのものとして変容される中で、それに対する反体制商品と言いますか、アンチテ-ゼとして無印良品は誕生しました。そのため、商品パッケージについても同様に簡素化を目指しました。一般的な商品パッケージというものは、スーパーなどの売り場では競合商品よりも目立つデザインを施されていると思いますが、そのデザインはひとたび家庭に入ると、まったく不要なものであることに気付くのです。そのことから、最初からパッケージには過剰なデザインや工程を入れず、できるだけ簡略化しましょうという考えを総合すると、結果的に無彩色なパッケージの商品群になったというわけです。
永井さん
田中一光さんくらいの方だと、'無彩色の大陸'は最初からイメージできていてもおかしくないと思ったりもしますが、むしろ世の中に溢れた一般的な商品とどのように拮抗するかという点での集積によって発見した、ということに強さがあるんですね。それにしてもひとつの商品のデザインマネージメントが徹底しているからこそ、まとまった時に力になるんだと思います。

消費社会のアンチテーゼとしての無印良品

永井さん
僕は「セゾン文化」の影響をダイレクトに受けた世代なんです。学生時代はパルコに通い、西武百貨店のイベントに参加し、渋谷公園通りがセゾンカルチャーで次々と塗り替えられていくのを目の当たりにしていたので、その凄さをよく覚えています。実は博報堂に入ってからすぐの時代大貫卓也さんの下で西武百貨店さんの広告を担当していたこともあります。
金井
そうでしたか。堤さんは当時のセゾン文化ともてはやされた時代の中で、消費社会そのものの構造の変化を感じておられました。
彼が言う消費社会の定義は、「すべてのモノを消費の対象と見る。消費の対象とならないモノは無価値と考える社会」で、どんなに美しいものでも、どんなに良いデザインでも、どんなに一生懸命作ろうとも、消費の対象にならなければ無価値とされてしまう社会です。そして、需要よりも供給量が上回ると、「消費社会現象」というものが起きてくると言っていました。
無印良品が生まれたのは1980年ですから、モノを買いたい、モノを消費することが豊かだという戦後の時代やオイルショックが過ぎ、モノは充足した時代でしたね。ただ、世間はどうなっていたかというと、青山通りなどに海外ファッションブランドの店がたくさんできて、高額なブランドの服が関心を集める一方で、家の中では品質の悪い日用品を使っていたり、生活様式も混乱を極めていた時代だったそうです。
製造業の機械化やアジアの工場化などで生産力が増大し、圧倒的に需要よりも供給量が勝る。100個欲しいときにモノが500個できてしまう。400個は売りつけなければならない。結果、「リゾーム化」(それが本当に実用の価値があるかわからなくさせること)や、「ファッション化」(使用価値から見ると無意味でも、持っていないと不安に思わせること)といった消費社会現象が現れ、モノのモノ離れが始まり、デザインや付加価値が1人歩きしてしまう。堤さんは、それが本当の意味で消費者にとって有益なのだろうか、と疑問を持たれていました。
そこに、田中一光さんを含めた多くのクリエイターが乗ってきた。デザインは、産業革命後に、貴族階級や日本の封建制と違い、市民の生活の質を上げていくという思想を持っていて、従来の権威主義の形や装飾を否定していったわけです。
堤さんの考え方に、ごく自然に当時の日本のクリエイターたちが集まった、そうした経緯だったと思います。
永井さん
無印良品からは、今お話しいただいたような、時代に対するアンチテーゼという感覚は覚えていましたが、そこには当時の堤さんが、明確に、本当のカウンターブランドとして立ち上げる思想があったんですね。
金井
昔、堤さんがカニの缶詰を作る工場を見たときのことです。缶にカニの身を入れた後、カニの足の部分を2本必ず載せる作業をしていました。なぜそのようなことをするのかと尋ねると、このカニの缶詰は本物のカニを使っているという証のために入れているとのこと。おそらく、戦前戦後も含め以前は'カニの缶詰'だと謳いながらもカニの身を使っていない缶詰が市場に多数出回っていたのかもしれません。そこで、自分たちもパッケージに'カニ缶'と書いて売る以上は、当社の缶詰は本物のカニを使っていることをお客様に信用して欲しいので、少し手間はかかるけれど本物であることの証明としてわかりやすく足を2本入れることがどうしても必要だったのです。
しかし、無印良品のカニ缶は、その信用を得るために行っていた足を2本入れるという'ひと手間'は省くけれど、その分リーズナブルな価格にすることを目指しました。しかも、必ずパッケージには、どこの海で獲れた、何というカニの身を使用しているのかということはしっかりと明記しようと、これは最初から決めていました。
その感覚を、堤清二さんは1980年の当時から持たれていたということが、今思えばとてもすごいことだと思います。
永井さん
堤さんは、生活者側の視点をしっかりと持たれていたということと、既存のモノに対しても、どれだけ違う価値観を持って生み出せるかという両方の視点をお持ちだったのですね。
金井
当時の売り手の論理つまり資本の論理は、戦後にモノの無い時代だからモノを消費したいというものでした。だから、各家庭ではテレビも買い、洗濯機も買いました。モノを消費することそのものが目的であり、それがつまりは豊かさだと考えていたような時代です。資本の論理からすると、とにかく作れば売れました。むしろ、モノが足りなくなるくらいの勢いもありましたので、企業は常に右肩上がりの売上と利益を得ていましたが、1980年くらいになるとある程度モノが各家庭に行きわたり、またオイルショックなどの影響で、モノが簡単に売れなくなる時期がやってきます。その時点で、資本の論理は止まるのです。
モノが売れなくなってしまったので、今度は売るための知恵を出していくことになります。しかし、当時は二極化が進み、一つには品質はこのままで良いのでとにかく安いものが欲しいというもの。もう一方では、もう少し見栄えをよく見せるための工夫として新しいデザインや流行を取り入れ、テレビコマーシャルをうつなど、ブランディングをしようというものです。この二極化の時代に世の中が変わり始めました。
しかし、無印良品はこのような資本の論理の状況に陥ることなく、人間の論理を優先したいというのが当時から堤さんの切り口でした。
永井さん
時代の大きな変わり目の時に世の中の趨勢に流されずに、全く新しい道を切り開いたんですね。

日本の美意識に根差して、生活の質を上げる

金井
実は、この会社では、エコロジーという言葉を1回も言ったことがないんです。創業当初から再生紙を使ったり、捨てられていたようなシイタケの割れている部分や小さいものも混ぜて、その理由とともに販売した会社ですが、1回もエコロジーと表現したことはない。とても日本らしいんですよ。「自分がこんないいことをやっています」ということ自体が、無印良品の美意識ではないわけです。
でも、消費社会や資本主義はまったくそうではない世界ですよね。モノは日本の家庭に大体行き渡ったわけですから、今年のカラーは、こんなデザインはと、どの会社も欲しい理由を訴求した時代に、無印良品は対極の姿勢、個性や嗜好性を省き、むしろ個性はお客様の1人ひとりに委ねるという、生活者に押し付けない自由な商品を作っていました。これは欧米人にはない発想ですよね。できるだけそぎ落として、むしろマイナスの美学を追究するわけですから。
永井さん
デザインの思想の中には全体最適という考え方がもとからあるので、一部分だけ切り出してエコロジーですと主張することの野暮ったさはとても理解できます。
日本的な美意識と消費社会に対するカウンターというのも、田中一光さんのデザイナーとしての思想と結び付いたということですか?
金井
そうでしょうね。明治維新を迎えた当時の多くの日本人は、日本の伝統文化は、ヨーロッパ・欧米に比べて遅れていて、野蛮なものだと思ったわけです。そのため、日本の伝統的なものは恥ずかしいから隠してしまえ、という感覚があった。そして、第二次世界大戦の敗戦によって、今度はアメリカからやって来たカルチャーに多くの日本人が乗って、「アメリカの映画は素敵よね」と言っていたときに、もっと根っこを見ていた人たちだということです。
つまり、一光さんの功績は、琳派の時代も含めた日本の伝統的なものをモダンに置き換えたことでした。
永井さん
モノを売る先には、日本の生活者の質を上げたいのだという意思が、最初からあったということですね。
金井
さらに言えば、豊かさや生活の質という中身が、世の中でちやほやされているブランドや高級なもの、高額であることとは違うところにあるということを、強く思っていたわけです。ですから、「アノニマスデザイン」といわれる、消費社会以前の無名のデザインを俯瞰しました。ジーパンにしても、野球のボールにしても、木を切る斧にしても、誰がデザイナーかは一切わからないわけです。斧も何百年も掛かってあの形になってきたわけですよね。柳宗理さんも『無印の本』(リプロポート、1988年)に寄稿されていましたけど、商業主義のために多く作られた最近の商品よりも、そういうものに健康的な美しさがあるということです。
永井さん
歴史と生活の中で鍛え上げられてきた形が、結果として美しいと。
金井
そういうことですね。何代にもわたって使いやすさや、あるいは合理的に作る方法も含めて、脈々と磨き上げられてきた形なんです。そういう形を私たちは探り当てていきたい。
永井さん
「Found MUJI」にも書かれている田中さんの言葉にもあるように、「簡素が豪華に引け目を感じず、その中にある知性と感性がむしろ誇りに思える世界」ということで、簡素・シンプル・素ということはモノに対してはそうかもしれませんが、日本の培った伝統的な技術や文化そのものを、現代では違った形でモダナイズしていくとなると、もはや簡素やシンプルという言葉だけでは表せないなと思いました。これを無印良品ならではの言葉で表すならば、どうなるでしょうか?
金井
「感じよいくらし」でしょうか。
この言葉は、2011年の大震災の発生後から言い始めました。震災の大惨事のニュースが流れた後は、電力をセーブしないといけない状況になりました。当社でも、本社の全エレベーター3基とも止めました。電気を使う機材も半分はコンセントを抜きました。普段、経費削減というテーマで同様のことをすれば、おそらく不満や文句の一つもあがったかもしれませんが、震災後に節電の取り組みを実施したとき、多くの社員がこれで十分だということに気付いたのです。だから、社内のスタッフは誰も嫌な顔をしていませんでした。自分のことだけじゃなく、被災地は今たいへん困っているのだから、皆で電力をセーブしないといけないという共同体への参加意識が高いとわかりました。いつもよりは少し不便だけど、社会のためにできることだから感じよいと思うし、むしろそれが心地良いと思っている人が多いように思いました。だから、「感じ良いくらし」としました。これは、自分たちのことだけでなく、作り手である生産者にも、地球にも配慮するということを思いながら生活することを表現しています。
永井さん
過剰じゃない、適切ということですよね。これで十分だという加減。
金井
「感じ良いくらし」ということを考えてから、『もの8分目』という取り組みを実施しました。もう一度自分たちの商品を点検してみたのです。もともと、無駄なものを省こうということでものづくりをしてきたのですが、今だからこそ改めて点検することで、もっと削減できるパーツや工程、原料などが見えてくるはずだと。でも、ネガティブな8分目ではなく、もっと積極的に気持ちよくなるポジティブな8分目を作ろうと始めた取り組みです。さらに、商品の見直しだけでなく、店舗で購入済みのしるしに使う粘着テープの幅を2割削ろうとか、備品や消耗品も含めた細かなところまで全社でいくつもアイディアを出し合ったりもしました。

「売ろうとしない」姿勢が、成熟する世界を牽引する

永井さん
私は企業活動には「経済性」「文化性」「社会性」という3つの視点が不可欠だと考えています。どうしても企業は経済性だけを考えがちになりますが、世の中に少し良いことをするような社会性や、今と違う暮らしを提示するような文化性というところまで広げて考えていくことで、より大きな価値を世の中に提示でき、多くの人から共感され、結果として多くの人に商品を買ってもらえたりするのではないかなと思っています。
金井
無印良品においての文化性、社会性は、何だと思われますか?
永井さん
おそらく、生活者のくらしの質を記号にまみれたものにするのではなく、ピュアに高めたいということが、もともと無印良品が持っている文化性だと思います。また、社会性ということで言うと、再生紙のお話のように、サステイナビリティや適切な素材がそこにはある。過剰性を押さえて、暮らしをシンプルにしていく。そうした考え方が、誕生当初から無印良品にはあったと思います。
金井
そうですね。そんなに難しい表現なのかはわかりませんが、当時は何が違ったかというと、売ろうとしなかった。
一光さんは、経営者でも商売人でもない。売ろうという余計なことではなく、自分の生活に何を取り入れたいかという目線で考えられていたわけでしょう。自分がメモを取るノートに、上質すぎる紙や過剰なデザインは必要ない、という精神性があったと思います。再生紙で十分だろうと。売ろうとしないというのは、そういう強さがあるのです。これが、売ろうとした途端に媚びて変わってしまうわけですね。
永井さん
経済性だけを追求していても、駄目だった。いやむしろ経済性を考えていなかったところに、普通のビジネスとの無印良品の大きな違いがあったんですね。それは、経営にとって本当に重要なポイントですね。売る側ではなく、買って生活する側の視点に徹底的に立ったところが大きいと。
金井
ええ。私はデザイナーと一緒に商品を作るときも、「一光さんは使ってくれるかな?」ということと同時に、「そこにいる20歳の大学生も買ってくれるかな?」ということをいつも考えていました。
永井さん
すごいことですね。今お話をいただいたような時代の気分は、とくに2010年代に入ってからの世の中の価値観にも符合している気がします。いわゆる売ろうとしているもの、記号化されたものはもういいや、という雰囲気になっています。
金井
成熟度と言ってもいいのかと思います。そういう意味では、世界がそうなってきていると思います。成熟することで、今のような価値観に向かうことも当然あります。ただ一方で、環境がこんなに汚れてしまったという危機感から、同じ価値観に向かうこともあると思うのです。そういった価値観に世界が動いてきていると私は思いますし、動いていかなかったら大変なことになってしまうと思います。
世界の人口が70億人を超えましたが、食料も水も大丈夫でしょうか? アメリカ人並みに世界中の人が食事をしたら、今の地球に食料は23億人分しかないと言われています。当然、もっと食料の生産性を上げようとがんばりますが、太陽は思い通りにいかない。気候が変われば、小麦の生産量は半分になることもあるでしょう。
そういう時代に私たちは今生きている、という価値観をずっと持っているのがこの会社の強いところではないかと思っています。
永井さん
すでに30年前から、今、世界の人が気づき始めていることを先行していた。
金井
ええ。30年前よりも、今はもっと厳しい局面になってきています。日本のことだけを考えているわけではなく、グローバルに大変な時代になっていると思います。
経済の論理で言えば、日本は人口が減少してこれからどうなるんだろうという心配をしている。一方で、世界はいいよね、まだ人口が100億人まで増えるんだからチャンスだと言いますが、これはまったく逆の心配なのではないかと考えています。日本はこれから1人あたりの面積や緑も増えて、本当の豊かさに向かう。しかも、世界に先駆けて。
しかし、現在はまだ経済が目的になってしまっています。豊かさや、感じ良いくらしに対して、ある一定量の経済はツールとして必要ですが、それが目的になってしまっている価値観や社会構造に対するアンチテーゼは常にあります。
永井さん
無印良品の存在は海外も含めて世の中にすでに浸透しており、比較的はっきりとしたイメージがみなさんの中でも出来上がってきているように思いますし、また多くの方は、すでに無印良品というものを詳しくわかった気になっていのではないかと感じます。
金井
無印良品の誕生には、ビジネスモデルというものが先にあるわけではなく、すでに普遍的な価値観という太いテーマを持って活動しています。しかし、時代の変化に合わせ、的確なビジネスモデルを作り、また変えていくことも経営者としては当然のことかもしれないし、一般的な企業はどちらかというとビジネスモデルの成功を目指しているような気がしています。競合との明確な違いや差別化がしにくい企業同士は、このビジネスモデルの内容で勝負することになるでしょう。
でも、ある企業が新しく進化したモデルを発表すると、まるでオセロゲームかのようにあっという間に裏表をひっくり返されるようなケースが小売業界には多いと思います。そのような状況からすると、無印良品という概念は、ビッグコンセプトと言えると思います。
永井さん
しかも、それが日本のDNAとか文化に深く根付いている価値観であり、それ自体の歴史もすでに連綿と続いているわけです。それはたいへん強いことですね。
金井
そうですね。さらには、グローバルへ向けても進んでいる現代において、無印良品のコンセプトはやはり強いと実感することもあります。日本のマーケットから世界のマーケットへ進出する際、無印良品という概念の中にある、日本的な文化、思想、精神を織り交ぜて海外へ出ると、それがより強みになることもわかってきました。
永井さん
最近は、とかくビジネスの競争が激しいので、利益を得られるビジネスモデルの創造ということに経営者の意識は向きがちですが、文化性、社会性に加え、無印良品はある意味で哲学、思想までが普遍化されていますので本当に強いと思います。

「デザインをしないデザイン」が無印良品を作る

永井さん
無印良品は、形としてのデザインについても、デザイナーの名前を立てたり、華美に売ろうとしないということも前提ながら、単純にデザインのクオリティとして素晴らしいという事実もあります。考え方と形の関係性や、形としてのデザインで普段から気をつけているのはどんなことですか?
金井
「デザインをしないデザイン」や「無作為の作為」という言葉は無印良品にはたくさんありますが、私たちはデザインをして、して、して、一周してもとに戻る形を追究しています。
これも一光さんの言葉ですが、グラウンドでマラソンをやりますよね。何周かすると先頭を走っている人が、周回遅れの人を追い越す瞬間があります。どっちが先頭なのかビリなのかわからない。このときの先頭が無印良品だとおっしゃっていました。
永井さん
10m先を走っている、というあからさまではないんですね。実際はものすごく先を行っているんだけど、見た目は世の中と調和しているということですか?
金井
はい。大変難しいことではありますが。
杉本貴志さんが最初の青山店を作ったとき、木・金・土というインテリアの素材を活用しました。「木」は、すすけてくすんだような信州の古民家の廃材。「金」は錆び掛かった鉄板。「土」はレンガで、割れていたり、すり減っていた九州の八幡製鉄所の工場の廃材です。
いくら杉本さんでも、素材の変化に対しては何の手出しもできないわけです。錆び方のコントロールはできないし、レンガのすり減り方も時間が作ったもの。そういう素材だけを使って無印良品の空間を創られました。言うなれば、無作為の作為。何の作為もしないけど、大きな作為ですよね。
永井さん
今でこそ若い人がリノベーションを好んだり、エイジングが重要な価値として認められていますが、非常に先駆的な発想ですよね。何でも人工的に簡単にできてしまう時代において、手間とか時間とか素材の持つ豊潤さをみんなが求めています。
金井
無印良品はブランドを否定し、そういう思想から生まれた「商品」と、杉本さんの店舗「環境」、そして、小池さんたちのコピーライティングやメッセージといった「情報」の3つが同じ哲学からデザインされています。モノだけ作ってもブランドにはなりませんが、「モノ」と、それが存在する「環境」、そして「情報」、この3つが企業活動とつながって揃えば、それは自然とブランドになります。
永井さん
無印良品の場合、価値観を共有できるすばらしいプロフェッショナルたちが集まっているから、よりそれが強固になるんですね。
金井
当時、田中一光さんはご自身で細かいことまで考えることもありましたが、仲間やチームで議論しながら、その中で仕事を各人へ分担させていというスタイルでした。ただし、どんな議論の中でも、田中さんの中ではしっかりとした座標軸がありましたので、仮に、あるテーマをこの議論の中に投げたとしても、間違いなくご自身がイメージするど真ん中にきちんと返ってくるということを、最初から予測もできていたのではないかと思います。チームの特性を正しく、よく理解していたからこそです。
その結果、色彩のことで言えば、無印良品のコーポレートカラーのあの'エンジの色'は田中さんが最初に設定されてから30年あまり経った今でも、一切変えていません。
ちなみに、商品ラベル(タグ)に'ワケ'を記載することやラベル自体のレイアウトは全て麹谷宏さんが担当してくださいました。麹谷さんは、その頃はフランスでワインのラベルデザインをなさっており、ワインラベルの中には、細かくその産地やぶどうの品種など、中身についての「氏素性」を書くデザインになっている話をされました。そのワインラベルの話をきっかけに、無印良品の商品ラベルの話につながるのです。当時、日用品という商品ジャンルに対して、その一つ一つに素材の'ワケ'やこの価格設定の理由、開発背景などを記載したラベルを付けたものは、世の中にはありませんでした。つまり、商品の原価構造の一端を担う、様々な理由や考え方を正直に伝える日用品が当時はまだ無かったということです。
永井さん
無印良品の商品ラベルというのは、いわゆるパッケージデザインということではなく、ある商品をワインボトルに例えたときに、そのワインボトルに表示する「システム」として必要なデザインだったということですか。発端が、もともとワインのラベルであり、またそれが商品名を伝えるだけでなく、氏素性、仕様やこの価格になった理由などが記載されていれば良い、という割り切りが、今では強いオリジナリティになっていますよね。
金井
無印良品は、売る側の立場にいる人が作ったのではなく、生活者視点のあるデザイナーが作り上げたコンセプトから誕生しています。そのため、普通なら売る側の視点で考えたときにデメリットとも思われるようなことも正直に記載しました。それがかえってお客様に信頼していただけた理由なのかもしれません。本質ではない情報は、一切省きました。
永井さん
生活者側に立てば、その商品の情報を全部知りたい、把握したいというのが普通です。しかし、多くの企業はそのようなことは内部の問題だから表に出すことはしないですね。いかにして美しく、そして多くの方に気に入られるような包装にするかということを一番に考えるところですから。その視点で考えても、無印良品はまったく違います。
金井
日用品という誰にとっても身近な商品ジャンルで実施したことが、当時はとても珍しかったのでしょうね。まだ日用品に対してそのような情報が必要だとか、大切だということはまだそれほど感じていないような頃でしたので、そこであえて品質や美意識へのこだわりを伝えました。今では、日々の暮らしの中でも身近なものへのこだわりについて意識が少しずつ広がっているような気がします。毎日のちょっとしたことや、何気ない身近なモノにまで気持ちを配慮した暮らしをすることが、心の面での豊かさにつながるという意味は、今なら少しは共感していただけるのかもしれません。でも、1980年代の日常には、まだまだ日用品へのこだわりにまで意識が向いていない時代だったと思います。

日本の美意識・価値観が、世界にない持続する企業を輩出する

永井さん
無印良品には、「生活者が魅力を感じる未来像を構想し、形にする方法論」としてのデザインの力が、見事に体現されていると感じます。やはり、思想の根幹と商品が結びついているから、私たちは安心して買えるということがあると思います。表層的なデザインだけではなく、哲学も含めて、無印良品をみんなが認めているということはありますよね。
金井
売上や利益も意識しないといけないので、思想と商品のバランスはたしかに難しいです。難しいのですが、その努力を三十何年間ずっと続けてきています。その努力は極めて重要で、それを正直にやることができれば世界中に無印良品のマーケットは存在します。
では、その努力は何によってできるかといいますと、人間社会がどうあるべきかという議論や思想を、いつもワイガヤで議論しているということだと思っています。
実は日本人は、神道と仏教と儒教の考え方を根に持ち、東の端っこの島国という独特の地理と気候風土から、混交の中で自分たちの独自の精神や美意識を作り出してきた特徴を持っていると思います。
一光さんも、「日本の茶の湯やMUJIを世界語にしたい」とおっしゃっていました。俳句などの簡素さに秘められた知性や感性などが、豪華なものに引け目を感じることなく、むしろ誇りに思える世界。そういった価値体系を今、世界に発信できれば、もっと少ない資源で皆が美意識や豊かさを体現できる。さらに、自然に対する畏敬の念、農耕的な共同体の意識、そして引き算の美学を発信しましょう、と。
永井さん
日本企業には、日本の美意識や価値観がベースにあると思いますが、実際の企業経営という視点で、そこまで考えられている企業は他にありますか?
金井
日本は長寿企業が世界で圧倒的に多いのです。200年以上続く会社が3100社くらいあって、もうダントツです。なぜそういう長寿企業が日本に多いかと言うと、大きくは2つ要因があると思っています。
1つは柔軟性です。企業にとって時代環境は常に変化しますから、企業はその環境変化に対応できるかどうか。対応できるためには何が必要かというと、すごくシンプルに、「人々の幸せって何だろう」とか、「これからの豊かさってどういうこと何だろう」という問いを常に立てている会社かどうかだと思います。
もう1つは、日本は感謝と奉仕のように、自分だけ儲かればいいわけではないという価値観があります。私たちはそれを「良心感」と言っています。
「柔軟性」と「良心感」。この2つが長寿企業の特徴だとすれば、日本にそのような企業は多いのではないでしょうか。

自社らしく役に立てる市場を見つけ、売上ではなく利益を得る

永井さん
戦後焼け野原の日本で、生や死、人の幸せを考えながら立ち上がった企業がどんどん大きくなっていったわけですね。ただ、大きくなると継続成長だけが目的化してしまうこともある。単純に利益を挙げることだけでなく、社会的価値や文化的価値で企業として少しでも良いことが提供できるかという原点を常に忘れてはいけないと思います。
金井
でも、やっぱり利益は大事です。ただ、売上が大きいということは、あまりおもしろくないとは思います。むしろリスクになる可能性がありますから。環境が変わったときに恐竜が倒れたのと同じように、図体が大きいとコントロールが大変になります。だから、ネズミのような小さな弱者が進化しながら生き残った真実が、参考になります。
どちらかというと、売上よりも、利益に対する目的のほうが重要だと思います。利益の前にどういう使命を持って社会に貢献するかということが当然あって、そのうえで利益をどう導き出すかという戦略が大切です。
戦略は、「戦を略する」。戦いをどうやってしないようにしましょうか、ということですから、まず、自分たちが役に立てるのはどこの領域かを考えます。全部のマーケットを取る必要はないし、自分はこの池で釣り糸を垂らしますと言えばいい。でも、多くの企業はものすごく大きい池を探して釣りたくなる。そうすると、ライバルもたくさんいて価格競争に向かってしまう。
ですから、これからの企業は、大きくはなくても、できるだけ自分の池を見つけたほうがサスティナブルだと思います。
永井さん
グローバル化して、世の中が均質化していったときに、その会社ならではと言えるモノをどうやって作れるかはとても大事ですね。
金井
「Found MUJI」という取り組みを進めています。今はもう、どこに行ってもiPhoneを持っているし、バンコクでも、パリでも、ロンドンでも、東京でも、ニューヨークでも、どこの土地でも同じようなビルが立ち並び、皆が同じものを着ている時代だからこそ、その地域ごとの固有の文化が大切になると考えています。
それを見つけて(ファウンドして)商品化し、もう一度世界に発信することが私たちの戦略です。そういう意味のデザインを実践しています。
地域に固有に残っている文化やモノは、今のコマーシャリズムを前提に作られる以前のものが多いのです。だから、私たちのデザイン的な視点・思想とも合うわけです。これからは、さらに多くの人々が地球を移動し、他国へ旅行や買い物に出かけます。
すでに私たちの店でも、多い店では3割が海外のお客様です。将来的には、海外のお客様が5割か、それを超えるようになっていくでしょう。海外のお客様が日本に来られたとき、どこへ旅行に行くか。自分の国と同じようなところには行かないでしょう。今の時期、秋田に鍋を食べに来ましたとか、式年遷宮を見た帰りに伊勢で何か食べようとか、そういう情報と行動になりますよね。そのときに、東京と同じことや食べ物しかない地方だったら、何の魅力もないと思います。
そういうことをデザインしていくことは、大変重要だと思います。均質化に向かえば向かうほど、逆に地域の固有性が重要です。そこに貢献できる仕事を増やしていきたいと考えています。

思想に共感できるデザイナーとのコラボレーション

永井さん
アドバイザリーボードがあるなど、デザイナーとのコラボレーションでも、他の企業とは違うデザイナーの起用があると思いますが、いかがでしょう?
金井
田中一光さんがご健在の時代は、プロダクトやファッションに対しては、あまりデザイナーを使いませんでした。その後、生産の構造も大きくなり、SPA(製造小売業)という小売業の出現も含めて、新しいブランドが出てきた時代に、それまでのやり方だけでは厳しくなってきた。それで今の無印良品のように、デザインを徹底的にやろう、と方向を変えてきました。
今は、プロダクトでも、ファッションでも、名前は出しませんが、世界の才能あるデザイナーの方々と一緒にやらせていただいています。無印良品のフィロソフィーに皆さん共感して、一緒にやりたい、とおっしゃっていただき、それは本当にありがたいことです。
永井さん
思想がちゃんと共有されていれば、無印良品のデザインはでき上がってきますか?
金井
そう思います。たとえば、あの巨匠と言われるイタリアのエンツォ・マーリ氏とも仕事をさせていただいていますが、「オレはおまえたちより50年前から無印良品だ。オレはずっとそこで戦ってきた」なんておっしゃいますし、ドイツのコンスタンチン・グルチッチ氏とは、バウハウスを現在化させるプロジェクトを行ったりといったように、皆さんMUJIを大変よく理解されていらっしゃいます。
永井さん
MUJIがこれから世界に広がっていくのが楽しみです。日本食の味や健康志向を世界の人たちが受け入れてくれるのと同じように、MUJIを通じて日本の価値観やデザインが世界にもっともっと広がっていってほしいと思います。

対談を終えて

永井さん
今回の対談では、無印良品の独自の価値観のお話もありつつ、日本人の心というか、事業内容が人々の暮らしに直接つながっていることからも無印良品はきわめて普遍的だし、日本人として大切にしたいという共感の仕方が他のブランドとは明確に違うと思いました。無印良品の独自性と最初の哲学の発見が、とてもすごいことだったんだと改めて感じましたし、無印良品誕生当時の感覚を思い出しました。私自身がセゾンカルチャー世代ですので、無印良品の創世記も大変印象的だったことを覚えています。あのときの感覚が重なり合って、改めて無印良品の一貫したブレのなさや進化している部分を感じることができました。
改めて無印良品について深くお話を伺うことができ、とても面白く、デザインに関わる人間としてもたいへん勉強になりました。
金井
改めて、無印良品について誕生当時を振り返りながらお話しました。良品計画という会社は、「無印良品」をどのように具現化していくかということを主な事業として進めていますので、企画・製造小売業という事業を中心に据えています。しかし、今はもう小売業という領域では収まらない気がしています。もちろん、企画・製造小売業という軸を持って世界に展開を広げていますが、その軸の周辺において国内外での飲食事業や国内でのキャンプ場運営、さらには住宅事業の中では団地のリノベーションに取り組むなど、多岐に広がってきています。どの事業も無印良品の哲学や思想をベースにしていますが、徐々に無印良品が担うべき範囲は「生活」から「社会」へ広がってきているような気がしています。無印良品という小売業の枠を超えた成長を期待していただき、'感じ良い社会'が当たり前のように無印良品の事業テーマとなるようがんばります。

※役職等は対談当時のものです