募金券でつくれる未来
社員との対談
第13回
オイスカ×良品計画
3.11から1年。
被災地の住民が、次の世代に残したいと願う海岸林。
募金券 寄付先団体の皆さんの活動を良品計画の社員との対談を通してお知らせします。第13回は、東日本大震災による津波で消失した海岸林の再生のためのプロジェクトに着手したオイスカさんにお話をおききしました。
- 津波によって失われた海岸林の再生
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あの日、被災地は多くのものを失いました。とりわけ沿岸部の被害はすさまじく、津波が何もかもを持ち去って、その後更地のような姿になった所もあります。ずっと前の世代から、人々の生活を守っていた海岸沿いの松林もそのひとつ。自分たちの代での再生は無理でも、次の世代に受け継ぎたい、その思いで立ち上がった被災者もいます。
プロフィール
オイスカ
本部を日本に置き、29の国と地域に組織を持つ国際NGOです。主にアジア・太平洋地域で50年にわたり農村開発や環境保全活動を展開し、特に、各国で地域のリーダーとなる人材育成に力を入れています。国内でも、啓発活動のほか、植林や森林整備などで実績があります。
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林 久美子さん
オイスカ
啓発普及部 広報主任1994年からオイスカで海外の子どもたちによる森づくり「子供の森」計画 を担当。2001年からはオイスカ高校(静岡県)で留学生に日本語を指導。2011年から現職。
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古田 正隆
良品計画
業務改革部 VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)課長広告会社を経て、2002年7月に良品計画入社。宣伝販促室 宣伝課課長、無印良品有楽町 副店長、食品部 MD(マーチャンダイジング)計画担当を経て、現職。1児の父親。
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川﨑 冨美
良品計画
生活雑貨部 企画デザイン室 デザイナー鳥取県生まれ。岡山県立大学デザイン学部卒業後、プロダクトデザイン事務所の上海駐在を経て2007年より良品計画生活雑貨部企画デザイン室に勤務。主にハウスウェアの商品企画、デザインを担当。
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400年もの間、人の暮らしを守った海岸林
川﨑:3.11の後、オイスカさんが再生のために動き出した海岸林が、もともと伊達政宗の時代に人の手で植林されたと知り驚きました。
林さん:そうなんですよ。松の成長するスピードを考えると、最初に植えた人たちのためではなく子孫の暮らしのために植えているんですよね。400年も前に、次の世代のことを考えたお殿様がいたというのがすごいですよね。
古田:それほど長い間、海沿いの厳しい環境を生き抜いてきた海岸林が、ほとんどすべて流されたとは、今回の震災、津波の規模が例のない大きさだったことを物語っていますね。津波で浸水した仙台空港が復旧した後、私も仕事で赴いたのですが、上空から見る景色には言葉を失いました。
林さん:今回の海岸林再生プロジェクトを展開するのはまさにご覧になったエリアです。仙台空港のある名取市の海岸で、距離にすると5kmです。震災直後の3月17日には林野庁長官に長期協力の申し出をしました。
古田:多くを失った被災地の人たちが、すぐに海岸林の再生を望んだと、最初に聞いたときは意外に思いました。優先順位としてぴんと来なくて。でも、それだけ切実に必要とされていたということなんですよね。
林さん:実は地元の人たちも、失って初めて実感したというのが正直なところのようです。あるのが当たり前だった海岸林がなくなってしまったことで、彼らの生活圏に、砂が飛んでくるし、塩害でいろんなものが錆びるし、潮でべたべたするし。震災前に同じ場所で住まいを構え、畑をつくっていたのもできなくなったそうなんです。10kmくらい内陸に離れていてもそうだというのですごいです。あと、視界が開けて海が近くに見えるのが怖いという声もありました。
川﨑:私は砂丘を持つ鳥取の出身なので、ちょっとわかります。やっぱり、飛砂を防ぐために松林が植えられているのですが、小学校でも、最初に植林した人は県の偉人だと教わりました。砂丘に近い地域の人たちは、あの松林がないととても普通に生活できないようです。
林さん:日本には「白砂青松(はくさせいしょう)」という、白い砂浜に青い松林の海岸の美しさを表わす言葉があるように、海岸線に並ぶ松の風景は、誰もが目にしたことがあると思います。それはすべて、人の手によって植林されたものなんです。鳥取砂丘の松林も同じですよね。木は植えれば終わりというものではないので、植えた後の育林と言われる整備・管理を含めて、昔から代々行ってきているのです。
再生のため、被災住民が主体となって
古田:海岸林の再生プロジェクトは、早い段階で地元の人たちとオイスカさんとが一緒になって動いているんですね。活動も、地元の被災住民の皆さんが主体となって行っていくと。これまで守り、守られてきた海岸林を、次の世代に残したいという思いが強いのですよね。
林さん:本当にそうなんです。このプロジェクトに関わる名取市の人たちには、50~60代の方も多いのですが、彼らも子どものころ松を植えた記憶があるそうです。伊達政宗の時代から、ずっと地元の人の手で守られ、なくてはならない存在だったんですよね。
古田:先ほど、今回のプロジェクトでは、距離にして5kmの海岸線に植林することを想定した育苗を進めているとお聞きしましたが、木の本数にしてどれくらいなのでしょう。
林さん:だいたい50万本です。
川﨑:すごい・・・。
古田:ちょっと気が遠くなりそうです・・・。
林さん:東日本大震災で津波の被害を受けた海岸林は、北は青森県の八戸から南は千葉の九十九里まで500kmにおよびます。私たちが再生のお手伝いできるのは、そのうちの100分の1。この数字だけでも、途方もない規模の災害だったとわかってもらえると思います。
古田:本当ですね。そして、日本の海岸林が、すべて先人たちの手で植えられたということのすごさも改めて感じます。陸前高田の"奇跡の松"が話題になりましたけど、1本1本植えた人たちがいたんですね・・・。
川﨑:昔も今も、これだけたくさん植えられた海岸の木が、どれも松だということは、松が砂地に適しているということなんですよね?
林さん:そうなんです。松の中でも、ほとんどがクロマツです。クロマツは潮風や砂地の貧弱な土壌にも強いんです。昔の人がちゃんとそれをわかって選んで植えてきたことにも感心します。近年は松くい虫の被害でマツ枯れを起こすことが多いため、今回は、クロマツの中からさらに、松くい虫に抵抗性のある種類を含めて植えることを想定しています。苗を育てるだけでも2~3年かかるんですよ。
クロマツの苗づくりはプロの仕事
川﨑:そうなんですか!では、私たちが植林をお手伝いしに、すぐに行けるものではないんですね。
林さん:クロマツの苗を育てるのには時間もですが、技術も必要で、実は簡単ではないんです。幸い育苗地の確保はできましたが、適した土づくりから始める必要があります。そもそも、苗木の生産自体、種苗生産の組合に加入して、生産者登録をしていないとできない決まりになっています。今回は被災住民が自ら再生のために動くプロジェクトなので、地元の農家の人たちが生産者登録するべく、講習を受講しています。
川﨑:知りませんでした・・・。準備からとても大変そうです。
林さん:このプロジェクトの特徴のひとつでもあるのですが、クロマツの苗を育てることが、津波被害で農業の再開が困難になった地元の農家にとって、収入の一助になる仕組みを考えてきたんです。そのための第一歩が、前述した生産者登録で、森林組合等の技術支援も受けてがんばっているところです。
川﨑:なるほど。確かに、いずれ木材として売る木でもないですし、そもそも被災した人たちが担う活動なのですから、収入を生む仕組みであることは大切ですよね。
古田:以前、親子で参加した植林活動の中で、どんぐりを拾って苗に育てる取り組みにも協力したのですが、それが意外と難しかったのを思い出しました。どんぐりを腐らせてしまったりして・・・。農業における作物の栽培と、林業の木の苗の栽培はずいぶん要領が異なるんですか。
林さん:それがぜんぜん違うんです。でも、そこはさすがに農業のプロの皆さんですから、一般の未経験者とは比べ物にならないほど、短い時間で習得できるようです。
川﨑:いずれにしても、プロのお仕事なんですね。私のような素人はなかなか出る幕はなさそうです。