募金券でつくれる未来

社員との対談

第27回 えがおつなげて×良品計画 発想を変えれば、農村は資源の宝の山! 第27回 えがおつなげて×良品計画 発想を変えれば、農村は資源の宝の山!

募金券 寄付先団体の皆さんの活動を、良品計画の社員との対談を通してお知らせします。第27回は、課題の多い日本の農業・農村を元気にするために、都市と農村の交流を進め、新たな農村の担い手の育成も行う、えがおつなげてさんにお話をおききしました。

都市と農村、互いの強みを持ち寄って

日本の農村の多くは、進む過疎化・高齢化に悩んでいます。農業の担い手不足から耕作放棄地が増え、食料自給率が低下し、また、日本の原風景が失われていっています。一方、都市には、都会の生活や価値観に疲れ、農村での、自然と共生した暮らしに憧れる人も増えているようです。都市と農村の交流がもっと活発になれば、お互いの強みを交換し合い、解決できる課題もあるのではないでしょうか。都会を後にし、10年以上にわたって農村を拠点に活動し、地域を元気にしてきたNPOに、アイデアあふれる手法を学んでみましょう。

プロフィール

えがおつなげて

えがおつなげては、過疎化・高齢化で存続すら危ぶまれる日本の農村の資源に着目して、それを活かし、地域の活性化につなげる活動を行ってきたNPOです。2001年に設立後、山梨県の農村を拠点に、農業の課題解決を中心に取り組んできました。行政や企業、大学などとの連携も手掛け、都市と農村の交流を盛んにして双方の持つ強みを活かし合う試みを続けています。

えがおつなげて

  • 曽根原 久司さん

    えがおつなげて
    代表理事

    1961年長野県生まれ。明治大学卒業後、金融機関などの経営コンサルタントを経て、東京から山梨の農山村地域へ移住。2001年、都市と農村の共生社会の実現を目指す「えがおつなげて」を設立。内閣府「地域活性化伝道師」にも選定されている。

  • 石川 雅人

    良品計画
    宣伝販促室 キャンプ担当課長

    1996年、無印良品南乗鞍キャンプ場の現地スタッフとして入社。同年10月、キャンプ事業部本部スタッフとなり、2005年より現職。津南、南乗鞍、カンパーニャ嬬恋の3つのキャンプ場の運営、アウトドアイベントの誘致から企画立案、実施運営を担当。

  • 中島 勝宏

    良品計画
    チャネル開発部 Ⅰ課長 

    1996年、入社。無印良品Tokyo-Bayららぽーとに配属後、長野WALKで店長に着任。その後、東京を中心に5店舗での店長経験を経て、2011年より現職。主にファミリーマートや アスクルへの商品供給とレンタルベビーベッド業務を担当。9歳と7歳の娘の父。

経営コンサルタント、農村に向かう

農村を目指して都会から人があつまる

石川:曽根原さんは、えがおつなげてを立ち上げる前は、東京でお仕事されていたんですね。経営コンサルタントだったそうですが、なぜ関心が「農村」に向いたのでしょうか。

曽根原さん:前職では銀行を対象にした経営コンサルティングをしていました。バブルの時代を経験していますが、絶頂期にも、「このままでは世の中が立ち行かなくなる」という危機感を持っていました。高齢化や農村の疲弊といった国内問題と、いずれ訪れるであろう世界的な食糧問題、そして環境やエネルギーのことを考え合わせて、こりゃあダメだろうと。誰も耳を貸してくれはしませんでしたけど(笑)、私にとっては自然な流れで、「これからは農村資源を活かす時代だ」という確信を持ちました。

中島:みんなが浮かれている時代に、すごく先見の明がおありだったんですね。でもそれで、実際に農村に移住してしまわれた行動力がさらにすごい。

曽根原さん:あのころ、経済バブルと同時に、健康バブルがはじけたんですよ。前者はご存知の通りですが、後者について身近では、当時結婚したばかりだった妻が病気になり、妊娠をあきらめなくてはならないと医師に告げられました。それを機にいろいろ勉強した末に、食べ物をオーガニックにし、高性能の浄水器を導入し、住まいを片っ端から改装して自然素材に替えて・・・とにかくできるだけ化学物質を排除した生活に変えました。その甲斐あってか無事に妊娠、出産できたんですよ。「やっぱりそうか」という思いがしましたね。ほかにできることは住んでる場所くらいだったので、それも移住の動機として手伝いました。

中島:そうですか。では、移住される時は奥さんもすんなり?

曽根原さん:移住については、病気のこともありましたから、彼女もまんざらでもなかったと思いますよ。でも、そうかといって、そのころ私は経営コンサルティングの会社を自分でやるようになっていましたから、仕事の面では心配したでしょうね。当の私は「農村の資源で仕事ができる」と豪語していて、誰にバカにされても自信満々でしたから、まったく不安はありませんでしたけどね。今では「ほら、仕事になったでしょ」と言っています(笑)。

耕作放棄地も、荒れた山も資源。農村は宝の山!

石川:移住先の山梨とは何かご縁があったんですか?

曽根原さん:縁はありませんでした。言ってみればビジネス的視点で選びました。

石川:ビジネス的視点、ですか。

曽根原さん:山梨は日本の中で、耕作放棄地の多さが2位、森林率が5位、ミネラルウォーターの採水地として1位、日照時間も1位。資源が豊富なんです。日本の農山村の多くがそうであるように、過疎化、高齢化で、それだけ見ると存続も危うい地域かもしれませんが、私は最初から農村ならではの資源に着目していたので、宝の山というか(笑)。

中島:不安はなかったんですよね。

曽根原さん:ただもう、ワクワクしました。

中島:はぁ・・・ワクワクと(笑)。

石川:いいですねぇ(笑)。で、移住されてからまずどこから手をつけられたんですか?

曽根原さん:白州町というところに住居を構え、最初はひたすら耕しました。耕作放棄地を所有して、毎日夜中の3時半に起き出して耕した。

中島:え~!おひとりでですか!?

曽根原さん:ひとりでですよ。もう、楽しくて楽しくてしかたなかったんですもん。最終的に2ヘクタールひとりで耕しました。

石川:あははは!すごすぎる!!楽しくて、ですか。

曽根原さん:そう、楽しくて。で、農業の次は林業だと、今度は山に手をつけました。

中島:早くも圧倒されてきました・・・。

石川:それも楽しかったですか?

曽根原さん:楽しかったですよ。農地もですが、山林はさらに荒廃してるでしょ。日本中そうですが、間伐とかの手入れをしなくてはいけないとわかっていても、経済的に成り立たないから誰もやらない。私は最初、自宅の薪ストーブ用の薪を切り出していたのですが、さすがに使い切れるわけもない。ところがふと気づくと、まわりは別荘がいっぱいなんですね。別荘にはお約束というほど薪ストーブが設置されているんですよ。それなのに燃す薪がないから、ただの置物と化している。「おや、これはビジネスチャンス」と思いましたね。

薪を売って三方良し!?

中島:薪を売ったんですか?

曽根原さん:だってほかに売ってるところがないんだもん、飛ぶように売れましたよ。1トン25,000円で300トン売りました。

石川:えーー!!300トンも!

曽根原さん:すごい利益率でした(笑)。このビジネスのための投資は、配送用に買った中古の軽トラくらいかな。

中島:薪ですもんね。確かに、原価はかからなそうです・・・。

曽根原さん:自分で「発明」と言っているのですが、丸太のままの木も、薪として売ったんですよ。なぜかというと、別荘を持っている人は週末だけ来る都会の人でしょ?田舎暮らしを楽しむ一環だもの、自分で割るのも楽しいだろうと思って。

石川:そのアイデアも当たりましたか?

曽根原さん:当たりましたね。よく売れました。上手に割れない人も多いから、「やっぱり割りに来てください」と言われて、そこでもお金もらったりもして(笑)。

石川:荒廃した森の整備になるし、別荘の人たちには喜ばれるし、自分も儲かるし(笑)、最高じゃないですか。

曽根原さん:そうなんだけどね、そのうち県外からも注文が入るようになったんですよ。地元の配送業者と組んで、薪の宅配ビジネスとして全国展開か、と思ったのですが、いざ注文が入り出すと、次第に面倒になっちゃって(笑)。だって、森林が山梨と同じような状況の奈良とか和歌山からも注文がくるんですよ。そうなると、自分の気持ちが乗らなくなっちゃいました。まぁ、もともと飽きっぽいので、飽きたといえばそうなんですけどね。

中島:もしかして、そんなにうまくいっていたビジネスを手放したんですか。

曽根原さん:ほかの人に譲りました。そこでは、10人くらいの雇用が生まれましたよ。