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社員との対談

第44回 エイズ孤児支援NGO・PLAS×良品計画 「エイズ孤児」支援を通じて、コミュニティに未来を築く。 第44回 エイズ孤児支援NGO・PLAS×良品計画 「エイズ孤児」支援を通じて、コミュニティに未来を築く。

社会貢献活動を行う団体の活動を、良品計画の社員との対談を通してお知らせします。第44回は、アフリカのエイズ孤児に対する支援を行いながら、HIV/エイズに関する理解不足の改善に取り組む、エイズ孤児支援NGO・PLASさんにお話をお聞きしました。

「エイズ孤児」を知っていますか?

エイズ孤児とは「両親または片親をエイズで失った18歳未満の子ども」のこと。その数は世界で1780万人にも昇り、今も1日2000人ずつ増えています。HIV/エイズに関する正しい知識がないために、エイズ孤児は学校へ行けない、両親をなくしても引き取ってもらえないなど、さまざまな面で困難に直面しています。12月1日は世界エイズデー。HIV/エイズを取り巻く問題について、アフリカでエイズ孤児支援の活動をつづけるNPOといっしょに考えてみましょう。

プロフィール

エイズ孤児支援NGO・PLAS

エイズ孤児支援NGO・PLASは、HIV/エイズに影響を受ける子どもたちが笑顔でいられる社会を目指して活動する国際協力NGOです。エイズ孤児の教育支援活動やエイズ予防啓発活動を通じ、エイズ孤児への差別撤廃やHIV/エイズの正しい知識を広めています。現在は20代~30代のスタッフとインターンを中心に、ウガンダ共和国、ケニア共和国で活動を展開しています。

エイズ孤児支援NGO・PLAS

  • 小島 美緒さん

    エイズ孤児支援NGO・PLAS
    事務局長

    国際基督教大学業後、ウガンダでHIV陽性者支援を行う現地NGOでのインターンや、エイズ孤児が通う小学校の経営改善に携わったことがきっかけでエイズ孤児の問題を知る。
    帰国後、JPモルガン証券株式会社での勤務を経てPLASへ。国内で資金調達や広報・マーケティングをリードする。4才の息子の母。

  • 秋田 徹

    良品計画
    衣服・雑貨部 MD計画担当課長

    1998年入社。名古屋や札幌での店舗勤務を経て、2000年より店長に着任。その後、2004年よりエリアマネージャーとなり、2007年に海外事業部へ異動。海外の現地子会として北京、インドネシア、フィリピンなどの立ち上げを担当し、再びエリアマネージャーを担当した後、2014年より現職。主に、衣料品の商品計画業務を担当。

  • 橘 容子

    良品計画
    宣伝販促室 宣伝販促課

    1998年入社。パートナー社員として、無印良品ららぽーとTOKYOBAYにて勤務。2000年に本社員となり、2002年より業務改革部、海外事業部のVMD担当として国内海外の店舗の開店業務に携わる。2回の産休を経て、2013年より現職に復職。宣伝販促のグローバル化を目標に、ツールマニュアル等の管理を担当。5才と2才の娘の母。

貧困、差別、偏見・・・阻まれるエイズ孤児の将来

プラスが支援した小学校に笑顔で通う
子どもたち。
今後はエイズ孤児を抱える家庭の収入
向上支援に取り組んでいく。

橘:プラスさんが支援されている「エイズ孤児」はあまり聞きなれない言葉ですが、どういった状況の子どもたちなのでしょうか。

小島さん:エイズ孤児は、エイズで両親、もしくは片親を失った子どもたちのことです。世界に約1780万人ほどいて、その多くがアフリカのサハラ砂漠の南側に暮らしていると言われています。

秋田:1780万人・・・! HIV問題の先で苦しんでいる子どもたちは、そんなに大勢いるのですね。エイズ孤児たちはどういった環境で生活しているのですか。

小島さん:私たちが活動しているウガンダとケニアで一番多く見られるのが、シングルマザーがエイズ孤児を抱えているという状況です。自分もHIV陽性でありながら、エイズ孤児を引き取り複数の子どもを育てているケースもよくあります。彼女たちの年収、いくらだと思いますか?

秋田:想像するのも難しいのですが、だいぶ少ない・・・ですよね?

小島さん:プラスの活動地で調査したところ、2万円ほどで、ウガンダでの平均収入の約3分の1です。

橘:2万円?! 年収ですよね?

小島さん:一方で、子ども一人を学校へ通わせるのに年間1万円ほどかかると言われています。3~4人子どもがいると、とても全員を学校に通わせられません。たとえ通うことができても、経済的な理由から中退することも多いです。

秋田:孤児というだけで、とてもつらいと思います。エイズ孤児は、その中でも一層厳しい環境に身を置かれているんですね・・・。

小島さん:エイズ孤児の置かれている状況として特徴的なのは、生き残った片方の親もやはりHIVに感染していることが多い点です。やがてエイズを発病すると日に日に弱ってしまい、親の代わりに子どもたちが働きに出ることになります。そうなってしまうと、学校を中退せざるを得なくなり、教育が受けられなくなってしまうんです。

橘:親が亡くなったり弱ったりするのを見るだけで、子どもたちの心には深刻な影響がありますよね。

小島さん:そうなんです。短期間で両親をなくしてしまうことが多いので、子どもたちは精神的にも大きなショックを受けてしまいます。しかも、一般的な病気で親が亡くなったときよりも、エイズへの偏見から社会的差別を受けやすいんです。引き取り先が見つからず、子どもだけで暮らしていることもよくあります。

秋田:エイズのせいで教育も受けられず、小さいうちから子どもたちの力だけで生きていかなくてはならないなんて・・・想像していたより過酷な状況で、ショックです・・・。

寝袋で寝泊まりした活動当初

橘:エイズ患者支援ではなく、エイズ孤児に特化した活動を始められたきっかけは何ですか。

小島さん:団体が設立されたのが2005年です。創立メンバー7人は全員大学生で、同じNPO団体に所属していました。そのNPOの海外ワークキャンプの渡航先で食べることもままならないエイズ孤児たちに出会い、衝撃を受けたことがきっかけになっています。

秋田:現地では、具体的にどういった活動をされているのですか。

小島さん:私たちの活動は学校づくりからスタートしました。HIV陽性者への差別で、エイズ孤児たちが入学を断られることもあったので「ならば子どもたちが安心して通える学校を建てよう!」と。最初こそ地域の方から反対も受けたのですが、それを乗り越え、これまで3校を支援し、300名以上の子どもたちに教育を届けることができました。

橘:まだ周囲に理解されていない中でのスタートだったんですね。

小島さん:はい。でも私たちが寝袋でコンクリートの上に寝泊りして建築現場に行くという生活を2か月くらいしていると、それを見た地域の人たちも考えが変わったのか、ボランティアで手伝ってくれると大工さんが言い始めてくれたり。

橘:日本の大学生が縁のない地域で学校建設を始めたんですものね。

秋田:しかも寝袋で。

小島さん:そうですね。とはいえ、当時は情熱ばかりで、ノウハウも経験もお金もなくて大変でした。

橘:その情熱がすばらしいです。今も学校の建設が主な活動なのですか?

小島さん:現地での課題やニーズを知るうちに活動内容も少しずつ変わってきていて、最近は教育環境を整えるアプローチのほか、貧困対策にも力を入れています。エイズ孤児を抱える家庭の経済支援になるような事業を起こしたいとも考えています。

秋田:たしかに「学校があっても通えない」では元も子もないですよね。経済力がないと学校に通うのも難しいというお話でしたし。

小島さん:これまでも養鶏場の運営をしてきましたが、今、新しい事業を企画中です。実は今日、私が身につけている緑のブレスレットはその事業の一環なんです。幅数ミリの細い紙を丸めてニスで固めたペーパービーズで作られていて、現地ではよく出回っているものです。来年度は、これをエイズ孤児を抱えるお母さんたちに作ってもらい日本で販売を始めようと思っているんですよ。

橘:ちなみにこのブレスレットは、いくらで買い取るのですか。

小島さん:1本を日本円で150円くらいでと考えています。

秋田:年収が2万円と考えると、これが定期収入になれば、だいぶ変わりますね。

小島さん:そうですね。より多くの人にアフリカのことを知ってもらいながら、子どもたちの教育につながればと願っています。