募金券でつくれる未来

社員との対談

第36回 ジャパンハート×良品計画 人へ、こころへ、医療を届けて、未来をつくる。 第36回 ジャパンハート×良品計画 人へ、こころへ、医療を届けて、未来をつくる。

募金券 寄付先団体の皆さんの活動を、良品計画の社員との対談を通してお知らせします。第36回は、ミャンマーやカンボジア、日本国内で医療を通じた事業を行うジャパンハートさんにお話をお聞きしました。

医療の届かないところに医療を届ける

世界には、日本では治るような小さな病気であっても、十分な医療を受けられずに命を落としてしまう子どもたちがたくさんいます。貧困や、社会保障制度の未整備で、病院に行くことさえもままならない。こうしたことは、かつて日本も経験しています。悲しみを少しでも減らし、子どもたちが安心して暮らせるよう、国を超えて支え合うこと。日本の医療技術を活かして、国内外の「医療のないところに医療を届ける」ジャパンハートさんといっしょに考えてみましょう。

プロフィール

ジャパンハート

国際医療ボランティア組織として、2004年に設立されたジャパンハート。医師不足に悩むミャンマーやカンボジア、日本国内の離島や僻地に医療従事者を派遣し、医療活動を行っています。また、国内の小児がんと闘う子どもや家族に対して、旅行などの思い出づくりをサポートする事業なども実施。国内外の人々の明るい未来・可能性を取り戻すために、医療を通じたさまざまな事業を展開しています。

ジャパンハート

  • 吉岡 春菜さん

    小児科医

    2004年ジャパンハート代表・小児外科医の吉岡秀人と結婚後、ミャンマーで途上国での医療を学ぶ。2011年ジャパンハートに入職。現在は、東日本大震災で被災した子どもたちのこころのケア活動を担当。小児がんの子どもとご家族の思い出づくりを医療者がサポートする「すまいるスマイルプロジェクト」のリーダーを務める。長男(8歳)、次男(7歳)、2児の母。

  • 小林 幸枝

    良品計画
    衣服・雑貨部 紳士担当

    1995年に良品計画入社。町田店への配属後、1997年に店長に着任し、藤沢店をはじめ神奈川県内の複数店舗で店長を務める。2度の産休を経て、2013年より現職。商品開発担当として、紳士のニットやカットソーなどの企画に携わる。長男(12歳)、次男(7歳)の2児の母であり、NHK大河ドラマの大ファン。

  • 川瀬 健

    良品計画
    生活雑貨部 ファブリック担当

    2000年に良品計画入社。入社後、藤沢店に配属となり衣服・雑貨担当を経験後、2002年に横浜西口店の店長に着任。その後、神奈川県内や九州エリアにて複数の店舗での店長業務を経て、2007年より現職。主に布団など寝具全般の企画・開発を担当。長女(6歳)、長男(4歳)、次男(1歳)の3児の父。

ミッションは、「医療のないところに医療を届ける」

ミャンマー、ラオス、カンボジアでも診察

小林:近くに病院があるのが当たり前の環境で暮らしているので、途上国の医療環境はなかなか想像がつきません。やっぱり、日本とでは設備面などに開きがあるのでしょうか。

吉岡さん:そうですね。家の近くに病院がないこともよくありますし、あっても、手術中に停電になったり、器具の滅菌も十分でなかったり。日本と違って「清潔か、不潔か」から考えないといけないこともあります。

小林:子どもの具合が悪くなると、ちょっとしたことでも心配になるものです。十分な医療を受けられない環境で暮らしている人たち、子どもたちはもちろんのこと、自分と同じ親の立場の人たちのことを考えると、どんなに不安かと思います。

吉岡さん:途上国では、患者さんの経済状況に応じて治療内容も変わってしまいます。例えば、日本で点滴をする場合、患者さんはベッドで寝ながら、看護師が準備する点滴を待つだけで良いですよね。ミャンマーでは、まず自分で薬局へ行き、針と点滴用のボトル、チューブ、消毒液などを買ってこないといけません。当然、お金のない人たちは自分の買える範囲で安いものを選ぶので、貧富の差がより直接的に影響します。

川瀬:大変だ・・・。日本とは違うと思ってはいましたが、その中身を知ると、切実さが想像を超えますね。

吉岡さん:そうなんです。ただ、日本国内でも医療格差は存在します。離島や僻地では、深刻な医師不足のために十分な医療を受けられないことも珍しくありません。私たちは、このような国内外の医療環境が整っていないところに対して、医療を届けるための活動を展開しています。

活動のきっかけは、ミャンマーの人への恩返し

川瀬:ジャパンハートさんの始まりは、ミャンマーでの医療活動だったと聞きました。活動を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

吉岡さん:ジャパンハートの設立者である代表の吉岡秀人は、お金がなくて医療費を払えない人たちを救いたいという思いから医師になったのですが、研修医としての勤務を終えた後に訪れたのがミャンマーでした。彼が初めてミャンマーを訪れたのは、第二次世界大戦時に現地で亡くなった日本人戦没者を弔う慰霊団に、医療者として付き添ったことが始まりだったそうです。吉岡は、高齢の団員の介助のために同行したんですね。そのときに、敗戦後イギリスの捕虜となった日本人が、ミャンマーの人たちに助けられたというエピソードを何度も聞いたんだそうです。「この国の人たちに、自分たちが受けた恩を返してほしい」と言われて、それが今の活動につながっています。

川瀬:すごい実行力ですね。やりたいと思っても、それを行動に移せる人は少ない。なかなかできることではありません。

吉岡さん:吉岡に関して言えば、性格によるものも大きいですね(笑)。彼は私の夫でもあるのですが、やったほうが良いと信じることは、すぐに実行に移すタイプなんですよ。小さい頃からそうだったみたいで、お母さんはさぞや大変だったと思いますよ。

小林:そうなんですか(笑)。吉岡さんご自身も小児科のお医者さまなんですよね?ご自身もご活動に加わることに躊躇はありませんでしたか。

吉岡さん:私は、吉岡と出会うまで、実は海外にはあまり興味がなかったのですが、研修医のときに初めて訪れたミャンマーで、おしりに肛門のない鎖肛(さこう)という病気を持った赤ちゃんと出会って、大きな衝撃を受けました。生まれたばかりのその赤ちゃんは、肛門がないのでウンチが出ず、お腹がパンパンに膨れて、口からも便臭がしました。ぐたーっと苦しそうにしていて・・・。

小林:そんな病気があるんですね・・・。

吉岡さん:はい。「お金がなくても、日本人が治療してくれるかもしれないよ」とのうわさを聞いて、その子の親がジャパンハートのもとを訪ねてきたんです。すぐに緊急手術を行って人工肛門をつくり、便を出しました。術後、みるみるうちにお腹がひっこみ、その子が楽になった表情を見せたのがとても印象的でした。

小林:同じような病状の子どもは日本にもいるのでしょうか。

吉岡さん:いるのですが、日本の場合だと、お母さんのお腹にいるときに分かるので、生まれたらすぐに手術を行います。お腹がパンパンになるまで治療を受けないなんてことはありえません。その子は、手術をしなければ、死んでしまっていたんです。日本の病院で働いているだけでは見られなかった世界を知って、私も活動に関わりたいと思うようになりました。

地域に寄り添い、医療を超えて広がった10年

川瀬:医療活動を始められて10年、今では医療活動だけでなく、講演をされたり、障がい者の自立支援を始められたり、さまざまな活動をされています。規模も大きくなり、スタッフの方もずいぶん増えたのですよね?吉岡代表の推進力が、皆さんを惹きつけているのではないでしょうか。

吉岡さん:代表は、どんなに活動をこなしても、現状に満足しない性格でもあります。口癖のように、「なんかいいことないかな~」と言っています(笑)。伝えることも得意で、今では全国各地の小学校をまわってミャンマーの事情などを伝える、「命の授業」もしています。国の未来である子どもたちに、命の大切さを伝えたり、視野を広げてほしいと考えているんです。

川瀬:伝えることも大切なことですもんね。現場を知る人でなくてはできないことですし、子どもたちの心にも響くでしょうね。それにしても、本当にアクティブですね!

小林:ジャパンハートさんのご活動には、たくさんのボランティアの方も参加されていますね。ボランティアの方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。皆さん医療に携わっていらっしゃる方ですか?

吉岡さん:今年はのべ400人を超えるボランティアが、ミャンマーとカンボジア、ラオスで活躍しています。そのほとんどは医療関係者ですが、ときには文学部の大学生など多種多様な人たちが参加してくれています。現場では、医療活動以外にも、病院の掃除や患者さんの身の回りの世話など、いろいろな仕事がありますしね。

小林:日本の方が多いと思うのですが、どういう動機で参加されているのですか?

吉岡さん:現地にも手伝ってくださる方がいて、ミャンマーでは現地スタッフも雇用しています。ただ、ボランティアの数でいうと、ほとんどが日本人です。代表の講演会や、ジャパンハートの研修を終えた方の話を聞いて、活動に興味を持ってくれた方が多いようです。

小林:普段は日本で働いているお医者さんが、お休みにボランティアで参加したりするんですよね。

吉岡さん:はい、今はそれが多いです。これまで日本の医学界は、医学部を卒業した学生が、出身校の関連病院に研修医として就職する制度があったので、閉鎖的な傾向が強かったと思うんです。しかし、最近では自分で研修先を見つけることが多いので、外に目を向けて行動に移す人も増えてきました。ジャパンハートでは、4日間のお休みがあれば参加できる短期のボランティアプログラムを提供しているので、現地での医療活動に、より気軽に参加してもらえればと思います。

川瀬:お話を聞くと、この10年のうちに、活動範囲やそれに関わる人たちがどんどん広がってきているのが分かります。

吉岡さん:そうなんです。これまでは、途上国で行われる、医療系の非営利活動のほとんどが、公衆衛生に関連するものでした。例えば、感染症を防ぐための啓発活動や、インフラの整備といったものです。ジャパンハートは、医師が現地ですぐに医療行為ができる、日本の組織としては数少ない団体です。

小林:それはどうしてでしょう?

吉岡さん:現地にとけ込んで医療活動をするには、相当の時間がかかるからだと思います。信頼関係を築いていくにはどうしても時間を要するんですね。ジャパンハートも、2004年の設立当初はいろいろな課題を抱えていました。現地の医療関係者が患者の流出を嫌がるなど、考慮や調整すべきことがたくさんあって。腰を据えて、地元の方と長い時間をかけて行動を共にすれば、今の私たちのように共存できる環境がつくれるはずです。ですがそれには、長期にわたる滞在が必要になるので、なかなか同様の団体は増えていきません。

川瀬:現地に密着して、少しずつ地固めをして・・・。長い時間がかかるでしょうし、それによって人的にも経済的にもリソースを費やす必要があるでしょうから、どんどんいろんな団体が入ってこられるかというと、確かに難しいですよね。