募金券でつくれる未来
社員との対談
第52回 ジャパン・プラットフォーム×良品計画 被害を最小限にし、一秒でも早く支援を届ける。
社会貢献活動を行う団体の活動を、良品計画の社員との対談を通してお知らせします。第52回は、ネットワークの力で緊急時に必要な支援を届ける、ジャパン・プラットフォームさんにお話をお聞きしました。
- 災害の被害を最小限に留める、「支援」の大切さ。
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世界には今この瞬間にも、自然災害や紛争に直面している地域が数多く存在しています。非常事態の時こそ、NGOによる迅速な支援は必要不可欠。そして、現地に支援が届くまでの早さが、その後の復興に計り知れないほど大きな影響を与えます。復興活動の初動を支えるNGOのお話から、災害を取り巻く現状を知り、私たちにできる支援のかたちについて、今一度考えてみましょう。
プロフィール
ジャパン・プラットフォーム
ジャパン・プラットフォームは、今年で設立15年を迎える非営利組織です。NGOと経済界、政府が連携し、迅速に効率的な国際緊急支援が行えるよう後方サポートする、中間支援の役割を担っています。多発する地域紛争や、大規模な自然災害にいち早く対応するNGOに対し、政府からの資金や、企業、個人から募った寄付を初動活動資金として提供することで、迅速かつ円滑な緊急支援を可能にします。
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柴田裕子さん
ジャパン・プラットフォーム
海外事業部長埼玉県飯能市出身。新卒で就職したメーカー企業を退職後、米国のモントレー国際大学院に進学。公共行政学修士を取得する。卒業後はNPOにてアフガニスタン事務所の現場経験や、各種支援事業の立ち上げの経験を積み、2012年よりジャパン・プラットフォームの海外事業部長に就任。アフガニスタン・パキスタン、南スーダン、シリア、イラク、ミャンマーなど、海外における緊急人道支援に関わる助成事業の統括業務を行い、加盟NGOや外務省等関係機関との協議・調整業務などを担当している。
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川上晴子
良品計画
販売部 北日本エリアマネージャー2002年入社。無印良品横浜西口に配属後、神奈川県横浜市の店舗にてスタッフとして勤務。2004年より店長となり、横須賀、ルミネ町田、相模大野ステーションスクエア、ラゾーナ川崎、自由が丘、MUJI新宿と約9年間店長職を経験。2014年2月より現職、北日本エリアマネージャーとして、北海道、東北、北関東地域25店舗を担当。各店舗が、地域のお客様に支持していただける、地域に貢献できる無印良品を目指し、店舗運営の舵取りに取り組んでいる。
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関瑞穂
良品計画
企画室 広報・IR担当2009年入社。無印良品調布パルコ店に配属後、関東の店舗にて勤務。2013年に甲府山交店で店長に着任。甲府山交店にて2年半店長職を務め、その間に社内CSコンテスト「匠の技」での優勝を経験。「一期一会を大切にした、お客様の心に寄り添う応対」をモットーに店頭に立つ。2015年8月末より現職。新人の広報・IR担当として日々勉強しながら奮闘中。
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迅速な動きが求められる、災害の初動
川上:ジャパン・プラットフォームさんは、世界各地の復興を支援するために必要な、ネットワークの部分を担っている団体とお聞きしました。
柴田さん:はい。主に海外で緊急支援をする日本のNGOを支援しています。災害発生後の初動に必要な資金の確保・提供や、それにまつわる連絡系統を担う役割が特に大切な活動となります。いち早く対応を行うには、いかに初動のサポートをするかが重要になります。
関:ジャパン・プラットフォームさんが立ち上がる前というのは、災害支援に動き出すために、時間がかかってしまっていたのですか。
柴田さん:そもそも、NGOというものは、財政的にあまり基盤が強いわけではありません。ジャパン・プラットフォーム設立以前は、日本のNGOが海外で起きた災害に対する支援をするためには、まずは募金などで初動に必要となる資金を集める必要がありました。その場合、動き出すまでに数ヵ月の期間が必要になってしまいます。支援の速度としては遅いのです。
川上:ホームページを拝見して、災害発生から3時間以内に動き出すことが出来たという事例に驚きました。どういった仕組みによって迅速な支援を実現しているのでしょうか。
柴田さん:まず通常の場合ですと、災害発生後に各関係者を集めた会議を経て、承認を得るという手続きを経てから支援は動き始めます。しかし、「明らかに甚大な被害が出る」と分かった際には、こういった工程を省略し、1秒でも早く支援を届けることが大切です。そのため、緊急時にはメールや電話で特定の関係者の確認、承認を得ることで、すぐに支援を始めることができるという手段を取っています。
関:なるほど。お金というものを扱う以上、慎重な討議が必要になるとは思いますが、その部分が足枷にならないように対策を取られているんですね。
柴田さん:はい。ただ、私たちが他のNGOに提供する資金は、政府からの資金、あるいは企業や個人の方々からの寄付金です。そのため、できるだけJPFの事務局スタッフが直接現地を訪れ、適切な支援に用いられているか確認できる機会を増やすようにしています。災害の規模など、現地を訪れないとわからないことも非常に多いですしね。
川上:できるだけ現地の状況を把握し、適切な支援を届けるよう尽力されているんですね。
柴田さん:ええ。私たちは直接の支援よりも、他のNGOに対して、迅速な支援を可能にする「仕組み」の提供を活動の中心としている団体です。資金や資源を常日頃から備えておき、何か起きたときにそれらを素早く、かつ適切な支援に充てることができるように、日々力を尽くしています。
増え続ける自然災害に対応する「防災・減災」
関:最近は自然災害がより頻繁に起きているように感じています。実際、発生している件数というのは増えているのでしょうか。
柴田さん:おっしゃる通り、最近は自然災害の件数がかなり増えています。1970年代から比べると、海外からの支援が必要な規模の自然災害は約3倍の頻度で起こっており、個々の災害の規模についても被害額が約9倍になっています。つまり昔と比べてより大きな災害が、かなり頻繁に起きるようになったということです。
川上:そんなにも増えているのですか・・・。どういった原因があるのでしょうか。
柴田さん:さまざまな原因があるため一概には言えませんが、実は世界の自然災害の半分がアジアで起こっています。アジアで起こる自然災害のほとんどは洪水や地震ですから、地球温暖化や地殻変動など、気候・地形に起因した問題であることは確かです。
関:アジアだけで、世界の半分・・・。防災意識の必要性を、ますます強く感じます。
柴田さん:ただ一方で、日々の防災意識だけでは、被害が減らしきれないのも事実です。だからこそ、たとえば建築を強化するなど被害を減らすことに繋がるインフラの整備も大切になってきます。統計として、防災・減災に1ドルを費やすと、災害後の被害額を7ドル減らすことができる、というデータも出ています。
川上:7倍にもなってしまうのですか。起きてしまう前に、被害を減らすための備えをしておくことが、非常に重要なのですね。
柴田さん:ええ。復興支援活動は、災害被害への対症療法となる支援が中心ですが、その中でも被害が拡大した原因をきちんと分析・特定して、復興の過程で改善を反映していくことも、支援をしていくうえで大切な要素だと思うんです。そういった部分をきちんと意識することが「防災・減災」という、その場限りではない支援をつくっていくように思います。
東日本大震災の与えた影響
関:東日本大震災のときも支援を行っていただいたのですよね。出身が福島なので、すごく胸が熱くなります。
柴田さん:そうでしたか・・・。ジャパン・プラットフォームはもともと、海外へ向けた支援のサポートを目的として設立された団体でした。日本国内の災害ですと、日本政府や日本各地に事務局を置くNPOなど、緊急時に対応できる機関が多く存在しているため、本来、NGOが必要とされる活動領域は、あまり多くないはずなんです。しかし、東日本大震災からその認識は大きく変わりました。
川上:想定を超えた、大規模な地震でしたね。
柴田さん:はい。私自身としても、東日本大震災の現地に足を踏み入れたとき衝撃は凄まじかったです。これまで海外のさまざまな地域を訪れましたが、震災が発生して1ヵ月後くらいに宮城と岩手を訪れたときの衝撃は、今までで1番印象に残っています。
関:それほど強く印象に残っているのは、被害規模の凄まじさからでしょうか。
柴田さん:それもありますが、やはり日本という見知った土地で起きた災害ということが大きかったですね。海外での視察の場合は、支援を行う立場ということもありますから、常に1歩引いた視点を持つようにしています。しかし、生まれ育った日本に、また、自分と同じ日本人の方々に対してそういった視点を持つのは、とても難しく、つらかったです。
川上:支援を行う立場の方だからこその、つらいご経験ですね・・・。現地の方の反応というのは、いかがでしたか。
柴田さん:日本の方って支援をすることは多くても、されることにはあまり慣れていないんですよね。東日本大震災の被災者の方から最初は「NGOって何ですか?」とよく尋ねられました。「どうして無料で支援してくれるんですか?」と怪しまれたりもしました。
関:当時は支援という言葉自体、あまり身近ではなかったですよね。日本は地震が多い国ですが、あそこまで国内外からの支援を必要とする規模の地震は、経験したことがありませんでした。
柴田さん:東日本大震災以来、NGOが災害などで被害を受けた方々のために活動をする団体であるということも、広く一般の方々に浸透しました。そういった意味も含め、今なおNGO全体の活動に大きな影響を及ぼし続けている、非常に大きな出来事だったと感じています。