募金券でつくれる未来
社員との対談
第30回 緑のサヘル×良品計画 アフリカでの緑化。緑を守り、人を守る。
生活の安定と緑化をセットに取り組むモデルに
菅川さん:飢饉が去ってからも、地域が活力を取り戻すには長い時間がかかります。私たちのいた村も、5年くらいは喪中のように暗かった。それを見て、「食べられないとだめだ」と強く強く思いました。環境活動は大事です。だけど、何を置いても、食べられるようにしなくてはならないと。前述したように、緑を回復させることは彼らの生活にとっても欠かせないことです。だからこそ、木を植えるというところにたどり着くために、たくさんのことをしなくてはならないと思いました。
太田良:そこから、生活を安定させることと、緑化とをセットにした、今のような活動につながっていったんですね。
菅川さん:私たちも、手探りの中で必死でした。地域によって本当に必要なことは少しずつ異なります。水が不足しているところ、作物の不作が続いているところ、現金収入が必要なところ。生活を安定させるために有効な施策に優先順位をつけ、それぞれに粘り強く対応していきました。場合によっては読み書きを教えることもしました。
植林という概念のない場所で、植林をはじめる
加藤:地域での信頼がなければできないでしょうし、そのためにも、長い時間がかかることのように思います。
菅川さん:ひとつの地域につき10年はかかります。入って行ったばかりのころはよそ者でしかなく、本音で話してもらうことができなかった。信頼されて、本音で話してもらって初めて、ニーズがわかるんですよね。私たちがそれをできたのは、たまに日本から来るのではなく、ずっとい続けて、苦楽を共にしたことを認めてもらえたからですね。
太田良:そうですよね。いきなりやってきた外国人に、「緑を増やそう。木を植えよう」と言われても、「はいそうしましょう」とはなりませんよね。
菅川さん:そうですね。それに、もともと彼らにとって木は、神様からの贈り物で、自ら植えるものではないんですよ。
太田良:なるほど。日本人の感覚とはそういうところも違うんですね。
菅川さん:そんな捉え方の違いも、木を植える活動を難しくする一因ではありました。ただ、緑豊かだったころの暮らしを知っている人がいたのが良かった。象が家の近所を通って水を飲みに行っていたような時代を知る人がまだいましたから。植林に理解を示したのは、意外にも長老たちだったんです。
加藤:そうなんですか。なんとなく、伝統や、経験にないことを取り入れるのには、上の層の人たちのほうが抵抗を感じる気がしてしまうのですが。
菅川さん:ですよね。ただ、先ほど触れたように、長老たちは緑と共に生きていた時代があっただけに、木のことにもものすごく詳しいんですよ。お腹をこわしたときは、あの木の根を煎じて飲むといいとか、民間の伝統薬のようなものも、森から得ていたんですね。そうした知恵を代々受け継いできたのに、失ってしまったという思いがあるんです。
東日本大震災の後の葛藤。決心させてくれたのは・・・
太田良:アフリカの人たちのイメージが、だんだん豊かになってきました。
菅川さん:彼らはやさしいですよ。義理人情に厚くて助け合いがちゃんとあり、家族や友だちを大事にする。
加藤:先ほどの、飢饉のとき食べ物を持ってきてくれたお話でよくわかりました。
菅川さん:文化や境遇が違っても、人間に共通するものってありますよね。 飢饉のあった1994年から7~8年後、私が大きな木の下に腰を下ろして休んでいたら、体格のいい数人の男性が近づいて来てこう言ったんです。「あのとき(炊き出しで)お粥をくれた人ですね。あれがなかったら、命がなかったかもしれない。ありがとうございました」と。子ども時代に経験した飢饉を乗り越えて、一人前になり、今では村の担い手です。感慨深かったですね。
加藤:あぁ、うれしいですね。本当に、どこに住んでいても人は同じなんだ、という感じがします。
菅川さん:東日本大震災を知ったときも、アフリカの人が、私たちのことをすごく心配してくれました。
太田良:そうでしたか・・・。じーんときますね。
菅川さん:苦しい思いを知っている人たちなので、苦しい境遇の人への共感性が高いんですよ。私は岩手出身で、震災で知人を数人失っています。あのときほど心が揺れたことはありません。「アフリカで活動していていいのか。故郷に戻るべきではないか」と、自問を繰り返しました。そんなとき、毎日の生活に困っているアフリカの人たちから、たくさんのお見舞いや、励ましをもらって、また、岩手の人にも、「今まで当たり前だったことがそうでなくなり、今はアフリカの人たちの気持ちがわかる」と言われたことで、活動を続ける決心がつきました。
加藤:胸がいっぱいになってしまいました・・・。
太田良:ちょっと言葉にならないですね。
菅川さん:長年活動して来て、アフリカと日本を行き来するほどに、「どうしてアフリカは貧しく、日本は豊かなんだ」と繰り返し思うんです。日本人は働き者だと言いますが、労働量では、アフリカの人のほうがむしろ働いています。日本は戦後数十年で一気に豊かになりました。アフリカでは、30年前より今が貧しい人が少なくありません。ものすごい不条理を感じます。でも同時に、彼らの人間らしさ、コミュニティのあたたかさは、日本ではなかなか出会うことのできなくなってしまったものです。単純に、日本のように発展すればいい、というものではないですし、私たちの豊かな暮らしの陰には、貧しい国の人々の労働があることを忘れてはいけないと思います。
対談を終えて
加藤:最初にお伝えしたように、緑のサヘル=緑の岸辺というのが印象的でした。アフリカというとライオンキングみたいなイメージだったので、緑化と言われてもすぐにはピンときませんでしたが、アフリカの地に緑の岸辺をつくるなんて素敵だなぁ、なんて思ってました。アフリカの人たちの暮らしが見えていなかったんですね。菅川さんたちが、木を植えるに至るまで何をしているのかも、じかにお話してみて初めてわかりました。すごく感じるところがありましたね。胸がいっぱいになりました。自分の今の暮らしについても、何か考えるべきところがあるように思います。
太田良:私もアフリカというと、テレビで見た、野生動物のいる自然豊かな風景だけを思い浮かべていたみたいです。そこに暮らす人たちのことについては、よく知らない、遠い存在だったということに気づかされました。今日のお話で、ぐっとリアルに、人々に親近感を感じることができました。今は、おだやかな人たちであるとの印象を持っています。現地に立ったことがないので、ほんの一面しかわかっていないのだとは思いますが、お話が聞けたことはとても良い経験になりました。心に残るエピソードがたくさんあって、その中から気づきをもらいました。
※役職等は対談当時のものです
緑のサヘルは、2013年5月24日から8月25日の期間、
無印良品ネットストア「募金券」で募金を実施し、
116人の方から合計59,000円の寄付を集めることができました。
ご協力ありがとうございました。